総合的つぶやきぶつぶつ

○2010年02月26日(金)19:34  雲がとれる
 年季の入った気象予報士から「雲がとれる」という解説を聞いたことはありません。若年の予報士が奇妙な言葉で解説すると首をかしげてしまいます。雲が移動してなくなってくると晴れです。全天の雲量で快晴,晴れ(20%〜80%),曇りが定義されています。「雲がとれる」ではなく「晴れてくる」です。「雪が吹雪です」に至っては「馬が落馬」と同じです。
 個人的な思いで言葉を操られると違和感を覚えたり意味が分からなかったりします。言葉の共通性は相互に理解する前提があってのことで,好みの問題ではないはずです。
 教育の世界もかなり乱れています。専門用語はその道に携わる人が共通に使うことで理解を定着させる働きがあります。造語で言い換えるのは専門性と権威をおとしめてしまいます。
 授業力と言い換えなくとも,授業を成立させる要件はこれまで繰り返し示されてきたことです。教材研究をし,発問を構成し,子どもの実態を把握し,指導力を身に付ければいいのです。困り感と言い換えなくとも,遅れがちな子どもの内面まで実態を把握すればいいことです。学校力という造語に至っては,意味不明です。学校が組織として機能すれば,学校は正常に運営され,個々の職員が能力を発揮することで成果を上げるはずです。
 一般化していない外来語を使うことにためらいを感じない人が増えたのも困ったことです。どうしてもその言葉でないと言い表せないという節度はあってしかるべきだと思うのです。1人が暦といって,もう1人がカレンダーといっても意味が通じるのは,暦とカレンダーが同じ意味の言葉だとそれぞれが知っているからです。ところが,リテラシーといわれて,即座に読み書き能力が元々の意味だと知る人がどれぐらいいるでしょうか。
 日常的に日本語で考える人にとっては,理解に手間取るだけです。教室で使う言葉もしかり。あなたは大丈夫ですか。
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  • QQ(2010/03/07 17:14)
    一語一語かみしめなければ理解が深まらない日本語のよさは、曖昧さと奥ゆかしさを持っています。身振り手振りは必要ない日本語なのです。
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○2010年02月26日(金)19:29  ○○離れ
 理科離れだけ大きく話題にされたことがいまだに腑に落ちません。ここ50年ほどの間に離れたといえる現象はたくさんあります。思いつく限り羅列してみたいと思います。
 ふるさと離れ,農業離れ,米離れ,本離れ,雑誌離れ,テレビ離れ,外遊び離れ,手紙離れ,手書き離れ,家族離れ,百貨店離れ,小売店離れ,組合離れ,着物離れ,マッチ離れ,鉛筆離れ,新聞離れ,田舎離れ,現金離れ,活字離れ,宗教離れ,車離れ,スキー離れ,日本酒離れ,相撲離れ…。
 共通しているのは興味関心が薄れたという事実です。すべての人が離れているのではないということも事実です。裏を返せば,別のことに興味関心が移っています。その判断に安易さがあるのではないかという危惧を私は持っています。
 離れた原因を探っても打開策はほとんど見つからないでしょう。なぜならば,寄って集って価値観を失うような洗脳をし,離れることをよしとしてきたわけです。興味関心が今どこに集中しているか,それが希望の持てることなのか,冷静に先を見通すことが求められています。見えにくいうねりは,みんなそうしているからという納得と,流れに逆らう苦労から逃れたい気持ちでいっぱいのようです。その結果,離れてはいけないことを見失って,衰退を冷ややかに眺めている現実があります。
 離れる方がよいことなのに,逆に離れにくくなっている現象もあります。親離れです。自立が遅れると社会的な損失は増大します。親の問題,制度の問題ですり替えるのではなく,最善の選択肢を本人が判断することで,回避できる問題です。
 総合がめざす自らの生き方を身につければ,取捨選択は理にかなったものになると思います。何が値打ちのあることか分かれば,携帯電話が命の次に大事というような価値観は音もなく崩れ去るでしょう。
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  • QQ(2010/03/07 17:09)
    価値観が貧困になってきたかな。目先のことにとらわれて、維持するほうがいい伝統も消す人がいますよ。
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○2010年02月11日(木)17:58  シイタケは野菜ではない
 ものを分類することの難しさを改めて感じてしまいました。地球上のあらゆるものは生物と無生物に分けることができます。生物を分類するとき,動物と植物のいずれにも当てはまらないものがあります。動植物は真核生物,細菌類を真正細菌と古細菌に分類する資料にたどり着きました。分類学上,統一はまだできていないようです。細胞学の分野では原核生物と真核生物に分ける方法もあるということです。(仲田崇志先生の「気まぐれ生物学」のサイトを読みました。)
 日常的に食べているキノコ類は植物界ではなく,菌界に分類されています。コケやカビなどと同じところに入っています。シダ類は繁殖の仕方が似ていますが,植物界に入っています。それぞれ根拠を突き止めて,分類していっても当てはまらないものがまだまだあり,謎めいた学問分野なんだなという感想を持ちました。食物としてのシイタケは植物ではない,植物ではないから野菜ではないということに好奇心がくすぐられてしまいました。
 食物の中で話題になる植物の分類は,果物と野菜の違いでしょう。スイカやメロン,イチゴは野菜から外れて,果物にするのが普通です。スイカやメロンはキュウリと同じ仲間ですから,野菜に最も近いところにいます。イチゴ類は草本,木本ともにあり,果実という点では果物に近いところにいます。
 分類にこだわらなければ何も不都合は起きません。食物は何よりも食べられるかどうかが問題となり,食味のよしあしが重視されます。ささいなこだわりが好奇心を刺激し,ふだん関心のない世界に入っていけるおもしろさは総合で大切にしたいところだと思います。
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  • QQ(2010/02/14 21:00)
    固執せず曖昧なままのほうがおもしろい。雑食の知恵が子孫繁栄に貢献したということですね。
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○2010年02月06日(土)19:04  古紙事情
 容器包装リサイクル法が実施されて以来,分別の考え方は広まっています。ただ,統一がとれていないため分別の基準にばらつきがあります。そこで,古紙再生をしている会社の事情を探ってみました。
 新聞紙,段ボール紙は見分けがつきやすいだけに以前から流れはよくできています。しかし,再生する側から見ると事情は少々違うようです。広告,新聞紙以外の紙,プラスチック類などの混入は仕分け作業がたいへんな手間になっています。以前から言われていたことですが,純粋に新聞紙だけ集めると引き取り価格はかなり高いのです。段ボール紙では,粘着テープ,ステップル,接着剤などの混入で仕分け行程が一手間いります。
 一方,業界で「雑がみ」と呼ばれている古紙はかなりの量になります。多くは再生に回らず,可燃物として扱われてきたものです。再生するときに混入している物を除く手間が最も大きく,コストの低い国に送り込まれることもあるそうです。加工された紙類は,再生しにくいため取り除かないと古紙にはならないという判断です。
 アルミ箔が貼られた銀紙,フィルムが貼られた表紙や裏紙,ゼラチンが塗られた写真用紙,圧縮成型された紙管,薬品が塗られた感熱紙,ロウをしみこませた紙,粘着剤のついた紙,石の粉が塗られたコート紙などはリサイクル古紙にならないという知識が広まっていないのです。さらに,「雑がみ」は,薄い普通の紙,板紙,袋用の紙などに仕分けられて再生されるということです。
 ずいぶん前に放映された番組の記憶です。古紙回収問屋の作業場で糊付けされた雑誌の背中部分を切り取ったり,プラスチックの袋に入ったダイレクトメールを抜き取ったりする現場が放映されたことがあります。自治体も含めた報道関係者が,こうした現場を取材して知らせることで,リサイクルの啓発に最も役立つと思うのです。
 リサイクル法は再商品化に指定された品目だけを回収することが目的ですから,対象外の物は可燃ゴミに分別をする煩雑さがつきまといます。同じ素材でも使われ方によって分かれてしまうのです。例えば,「プラ」のマークが付いたものに奇妙なことが起こっています。歯ブラシは可燃ゴミだが販売時のパッケージは回収対象,ストローは可燃ゴミだが貼り付けている袋は回収対象というような分け方です。
 総合的な学習でゴミを扱うと分別の大切さを広める場として優れています。同時に,多くの問題点と情報不足を実感できそうです。
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  • QQ(2010/02/07 18:57)
    各自が出したあらゆるゴミがどこに移動して、どのように変化しているか見届けない限り、分別の評価はできないでしょうね。もしかしたら、燃やされているかもというのが、真相に近いです。アルミ缶と新聞紙だけはバッチリ間違いないです。
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○2010年02月06日(土)18:55  売れないミカン・カキ・リンゴ
 売れないにともなって生産量は減少している果物です。かつては秋のカキ,冬のミカン・リンゴは定番だったのです。一番大きな理由は,果物が輸入を含めて種類が豊富になったからでしょう。例えば,バナナ。私の子ども時代,バナナは珍しく,近所のおじさんにお土産でいただいて口にした未経験の味に何ともおいしいといえなかった記憶があります。
 売れない実情をはねのけようと,それぞれ新しい品種が次々と現れては消えていくのが,今の姿です。例えば,黄色の柔らかくて酸味が薄いゴールデンデリシャスは,硬くて酸味が強い国産の紅玉や国光の常識をひっくり返すリンゴでした。その後に登場したのは適度な硬さとほどよい酸味の交配種が多くなりました。生食が伸びないのならば,果汁100%でどうだろうかと取り組まれました。どうにも変えようがないカキは渋抜きしたあわせ柿の登場ぐらいです。
 子どものころ不思議でならなかったミカンの缶詰も大きな伸びはありません。ミカンの小袋がきれいになくなって,果肉だけになっているのは驚きだったのです。後にクエン酸と炭酸水素ナトリウムで処理していることを知りましたが,試してはいません。
 消費量が減ったもう一つの原因は,選ばれなくなったことです。どうしても食べなくてはならない食品ではなく,魅力に乏しいとともに皮を剥くのが面倒だと判断されるのです。
 救いの一手は前回の「料理の盛りつけとメタボ 」にあります。食べきれる量を小皿にのせて,めいめいに配置する膳の方法です。ミカンは皮がむきやすいように水平2分の1カットにします。リンゴは4分の1または8分の1カットで,芯と皮はないほうが確実になります。食べたいものを食べるという方法ではなく,割り当てることで消費は伸びていきそうです。一度試していただきたいと思います。
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  • QQ(2010/02/07 18:53)
    お弁当の彩りにミカンやリンゴが定番だったのは昔の話ですね。今時、イチゴあり、ブドウあり、キウイあり。デザートは多彩です。
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