○2009年11月29日(日)17:52
疑似体験の落とし穴
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| 車いす体験,アイマスク体験,高齢者体験など福祉の授業で子どもたちに体験活動をさせることはふえてきました。そのときでてくる子どもたちの感想はいかがでしょうか。「段差があると車いすで移動するのはたいへんだ。」「目が見えないと移動するのはこわい。」「おもりをつけると階段歩行はたいへんだ。」という感想から「車いすを使っている人はかわいそうだ。」「目が見えない人はかわいそうだ。」「高齢者はかわいそうだ。」まで,負の反応は比較的出てきやすいと思います。 当事者はたいへんだとか,こわいとか,かわいそうにと思われているとか考えているのでしょうか。ずっと気になっていることです。ピアニストがコンクールで優勝しただけのニュースに,全盲がかぶせられて話題にするのと似たようなところがあります。 中途失明のTさんに「目が見えなくて困ることはありませんか。」と質問が投げかけられたことがあります。Tさんは,「何も困ることはありません。」と自信を持って答えられました。「火事だけはこわいので気をつけています。」と付け加えられました。 それぞれの体験をしてこわいとか,たいへんだとか思っているのは当事者ではなく,目が見え,自由に動き回ってきた自分だというところに気づかせて欲しいのです。同情する言葉が出るのはまず一歩進んだととらえることができるという考えもあります。興味関心がなければ同情さえでてこないでしょう。しかし,同情で終わったのでは元も子もありません。 障害というのは本人にあるのではなく,人を取り巻く環境にあることを実感させるのが学びです。手すりがあれば安心できる,階段よりスロープのほうが安心して歩ける,という受け止め方に気づかせることで,相手の立場が見えてくると思います。 総合の中では,相互,相関の考え方を大切に扱う必要があります。切り口や投げかけは一面でいいのですが,人や物がどうつながるかをひもといていくことが総合的な学びになると思います。 | | |