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自農自食コラム〜Pungensマネージャー談〜

自食のための鍋  20181027

 かつて、一人暮らしをしていたときの調理道具として直径15cmほどの厚手の蓋付き片手パンは重宝しました。これ一つで大抵のことができてしまいます。汁物は当たり前のこと、炒め物、揚げ物、蒸し焼き、煮物、何でもこいです。蒸すときはちょっと頭をひねって専用の器具か小さめのザルで対応すれば大丈夫です。因みにパンというのは英語で浅い鍋という意味です。深い鍋はポットです。
 メーカーの売り文句に何度騙されてきたことかその経験を持っている方は数多くいることと思います。焦げ付かないテフロンフライパン、熱伝導が優れた鍋、煮込み料理に最適の鍋、揚げ物専用の鍋、中華パンなど目的に合わせて道具を揃え、結果的に腕が上がれば結構なことだと思います。意に反して使い勝手が悪いことから流しの下へお蔵入りとなってしまうことが多いのではないでしょうか。
 フライパンはプレスされた鉄製からアルミのフライパンへと変わり、テフロン加工を改良しながら耐久性を求めて今日に至っています。ガスで調理する場合はさほど熱ムラを感じずに使ってきました。冒頭に出した片手パンでも不都合なくよく火が回ります。ところが電磁調理器(IH)、電熱調理器(RH)を導入するとホームセンターで買ったフライパンでは真ん中だけが高温になったり底面が反り返ったり調理しにくいことがたびたびありました。一般家庭の熱源が変わることで調理器具が改善されているのが今の状況です。
 この問題を解決しているメーカーをすべて調べ上げたわけではありませんが、国産では富山県の北陸アルミのものが優れています。うたい文句通りの性能を発揮します。ただ表面加工の耐久性は使い込んでみないと分かりません。倍の値段の意味がある製品です。海外メーカーではティファールが優れていると愛用者が語っています。値段は3倍です。
 底面の中央から端まで均一に加熱されると火加減がつかみやすいので焦がすことがなくなりました。専用の中が見えるようにガラスをはめ込んだ蓋を同時に購入したのは無水調理に重宝します。密封した中の加熱変化を見ることができるので失敗しません。高価で扱いにくい専用の無水鍋がなくても十分調理可能です。蓋を開けない限りフライパンの中は100℃を超える水蒸気で調理され、野菜から出る水分が閉じ込められていますから煮込み調理に近くなります。専用の鍋が無水調理を可能にするのではなく、どのようなメカニズムで調理するのかを理解すれば蓋付きのフライパンでできます。その結果お蔵入りの道具を一つ減らせるでしょう。
 無水調理に興味関心をもつきっかけになったのは、総合的な学習の教員研修を計画する中で南アフリカ共和国から来たALTによるポイキーコースという郷土料理の紹介でした。鶏肉を普通の鍋で唐揚げに近いところまでソテーし、野菜とともに別の鍋で無水調理する実習でした。蓋がきっちりできる鍋ならどれでも使えます。蒸気抜きの穴が開いている蓋は使えません。主食はトウモロコシの粉を塩で味付けし熱湯で攪拌してペーストにしたものです。日本の蕎麦掻きと同じ調理方法です。ALTの夫も同席して片言英語でやりとりしながらのワクワクする実習でした。彼は調理中のコツを力強く指示するのです。「Don't open」完成するまで20分間蓋を開けるなというのです。これが野菜から水分を出させて高温の水蒸気で調理する無水調理の仕組みでした。最初弱火で水分が出始めたころを見計らって弱火に近い中火で待つだけでした。現地では鋳物のダッチオーブンで3本足のついた鍋が使われているそうです。オランダ人が持ち込んで広まった道具です。飲料水が乏しい中での野外調理の知恵が凝集されている方法です。
 調理は合理的な方法であるという背景に科学的な根拠が経験的に突き詰められているのです。経験的に科学してきた料理人は適切に調理器具を使いこなし、状況変化を見極めながら美味しさや食べやすさを作り上げ、のどごし三寸の満足を提供してきたといえるでしょう。




美味しさの危険と安全  20180727

 野山を巡って食料を採取する暮らしから耕作できる地にとどまって食料を生産する暮らしになったことで遊牧民とは異なる農民の文化が積み上げられてきました。時代が変わって現実は定住の暮らしから食料を他者に依存する定住しない暮らしへと転換する人が多数派になってしまい、農の文化だけでなく食の価値観も大きく変貌を遂げています。美味しいの背景にある美味しさの価値観は食レポに端的に貧しさとして表れています。食べ物は美味しいのが当たり前で、まずければ食事として成り立ちません。美味しいと自信を持って食事を提供しているわけですから、一歩踏み込んだ美味しさの価値観が前面に出なければと考えます。辛抱強く食べ続けても洗脳されることなくやっぱりまずいという物は廃れていきます。これが食文化の土台です。
 食レポで柔らかいか硬いかという二局的な表現が多いのも美味しい物に対する貧しさの表れです。柔らかく仕上げられるかどうかは調理技術にかかわるところが大きいのです。それ以前の柔らかさは品種にかかわるところが大きくなります。技術を駆使すれば硬い食材も柔らかく調理することが可能です。要はそこまでして食べるに値するかどうかです。硬くてもしわくても珍味であるならば一手間かけて食してきました。アーティチョークなどはその最たる物でしょう。
 柔らかさにはらんでいる問題点はペースト状の介護食に顕著に表れます。咀嚼の力の低下と嚥下のメカニズムがスムーズに働かなくなるといわゆる流動食になります。噛まないので唾液量は減り、消化に影響が出ます。ということで、柔らかさの前に噛み応えも大事な要素になりますから、柔らかさのバリエーションを楽しむためにも調理技術が要求されます。ご飯が優れているところは粘りのあるジャポニカ米を炊飯するとき、水加減一つで柔らかさをコントロールできます。元々炊飯してもパサパサの硬いインディカ米は日本の食文化に馴染まないわけです。ところが、ベトナムでは粉食にしたり粥にしたりして美味しく食べており、調理方法が食材に合っていると多くの人に受け入れられるようになっています。
 品種の問題点は選抜され継承されてきた種がどのような条件をくぐり抜けてきたかを調べることで美味しさをどう追求しようとしたかが分かってきます。例えば大正時代以前はジャガイモといえば粉系の男爵でした。やがて粘り系のメイクイーンがアメリカ経由で入ると二つの美味しさを知って、特徴に見合った献立に使い分けられ幅が広がっていった経緯があります。好みに合った品種を選んで美味しく食べることができるようになり、もはや二つの系統に多くの品種登録がされているのが現状です。
 ジャガイモ料理を美味しさの価値観で説明しようとすれば複雑多岐です。食味、食感、風味、色味、香味、食材や調味料との相性などなど、どの条件が美味しさの決め手になるか相対的かつ個人的な表現に行き着くはずです。美味しさの味覚経験は洗脳することができると言われています。だれもが美味しいという物だけでなく少数派の美味しい物もあるのでやっかいです。例えば、鮒寿司やうるかは美味しさの洗脳を受け入れないまま快感には至らなかった私です。
 京都大学の伏木の「おいしさの科学と健康」講演記録を読んでいると砂糖と出汁と油には特別のおいしさがあるというのです。やみつきという本能を刺激する報酬系の快感があるということにつなげています。ハンバーガー、ウナギの蒲焼き、天つゆで食べる天ぷら、美味しいに決まっている料理の中から和のダシを子どものころから洗脳せよという論でした。あわせて菓子も子どものころから洗脳した方がいいと私は考えています。スナック菓子、洋菓子と和菓子が大きく異なる点は油を使ってないものが多く、美味しさにはらむ危険性が回避できるのではないかと考えられます。
 美味しいという快感が依存症を引き起こすというのであれば、安全を確保する選択、あるいは危険を回避する選択を自己コントロールするだけです。我が身の内面に誘惑する快感が待っているのですからもはや危険なアルカロイドと同じです。そうならない策として多様な美味しさを経験し、先駆者が洗脳していけば美味しさが広がると期待できます。
 出汁文化を子どものころから洗脳することは、私が小学生のころから家庭科で設定されていたことなんです。ご飯と味噌汁という調理実習で煮干し出汁と味噌の相性を実感していました。優れた食文化の学習内容がおろそかにされると危険な方向にいとも簡単に流れてしまうでしょう。証明するデータを持っていませんが、美味しい味噌汁を毎日飲む若年層は確実に減っていると思います。「やめられないとまらない…」キャッチコピー通りに洗脳されてきた人はぜひ出汁の美味しさを体験してほしいですね。ただし、出汁を追求してきたラーメンは危険な組み合わせだと思いますよ。いわゆるやみつきになる美味しさです。





糖と脂肪の駆け引き  20180411

 糖質と脂質の代謝をわかりやすく解説した記事はなかなかお目にかかれません。その結果、多くの方が栄養素の摂取を科学的に理解することなく、断片的な知識に翻弄されやすい現実があります。そこで、Laboratory of Food Sciences(http://www.osaka-kyoiku.ac.jp/~ioku/foodsite/)という大阪教育大学のWebサイトの記述を参考に要約してみました。
 糖質を食べると体内の小腸で消化され単糖類になって吸収されます。食事後に血液に混じって運ばれる血糖は脳や赤血球のエネルギー源として供給され、食間のとき血糖を維持するのは過剰分として貯蔵されたグリコーゲンとなります。中でも筋肉中グリコーゲンは筋肉の専用エネルギー源となり、十分な糖質を摂取しないとタンパク質がエネルギーとして消費されてしまいます。つまり、摂取したタンパク質が体タンパク質の合成に使われることを糖質が担保しているのです。需要と供給のバランスを維持しながら過剰に摂取された糖質は生き残り戦略に打って出ます。必要量はグリコーゲンとして貯蔵なのですが、いざというときのために脂肪に変換して脂肪組織に蓄積してしまうのです。これが脂肪組織の肥満製造のメカニズムとなります。
 糖質のエネルギー変換に欠かせない裏方がビタミンB1です。玄米や豚肉に多く含まれ代謝の重要な助っ人です。血糖値をコントロールするメカニズムは膵臓で作られるインスリンという血糖を下げるホルモンと血糖値を上げるいくつかの成長ホルモンや副腎皮質ホルモンが正常値を保つように働きます。
 脂質の中でも植物油や魚脂は不飽和脂肪酸やトリアシルグリセロールに分類される脂質を含み前者はエネルギー源として機能し後者は脂肪組織の生成やエネルギー源として機能します。バターや肉類の飽和脂肪酸もエネルギー源として働きます。過剰摂取が脂肪組織を増大させることだけ理解していると必須脂肪酸と脂溶性ビタミンA、D、E、K、カロテンの供給を減らしてしまい健康維持の代謝が担保されなくなります。
 タンパク質もちょっとだけ知っておきたいことがあります。タンパク質は消化酵素によってアミノ酸に分解され肝臓に貯蔵されます。体内の各組織にアミノ酸として送り込み必要とするタンパク質を合成しています。ところが体内で合成できない8種類の必須アミノ酸はタンパク質の摂取のみで供給しなければなりません。そのためにできるだけ多種類の食品からタンパク質を供給することで健康維持が担保されます。特定の動物肉に偏った食事は健康維持に貢献しないことが徐々に理解され、多様な食品を駆使している日本食はやっと世界中から注目されるようになりました。
 グルメを楽しむことと並行して科学的な根拠を明確にした食品科学を学ぶことはとっても大切なことだと思います。しかし、好き嫌いをしなければ日本食は知らず知らずのうちに食品科学を駆使した食事になっています。ただし、一筋縄でいかないのが体質です。取り過ぎるとうんことして排泄されれば帳尻あわせは簡単ですが、危機に備えて念のために貯蔵しておこうとする親切心は遺伝子に本能的に組み込まれています。根拠となる論文が提示できませんが、北方系のある民族は食糧事情に対応して少量で効率よく栄養源を摂取できるように進化したという話が記憶にあります。雑種民族ゆえ栄養吸収の燃費の善し悪しを気にしてみるのも健康維持の1つの要素です。




持続可能な循環型農業  20180301

 環境負荷が非常に低い循環型農業は必要量を確保できればリスクが少ない持続性が期待できます。和牛、乳牛、鶏、豚の飼育は近隣で行われており、まとめて運べば輸送単価も抑えられます。飼料作物と食用作物を作付けすることで循環型農業のネットワークは描けるのですが、需給関係を調整する難しさがあります。餌と肥料を相互に依存し合うとしても飼育農家が配合飼料を切り替えるのは簡単なことではありません。飼料、食肉、牛乳、卵等の流通は元締めが依存関係にあり自由な取引には大きな壁があるのが事実です。 
 昭和30年代の我が家にはヤギがおり、鶏も一桁の数は飼っていました。年中毎日というわけにはいきませんが、ヤギの乳と卵と鶏肉は確保していました。稲作と麦作をこなして、麦は小麦粉に変身させ、乾麺にも交換していました。輸入小麦に頼っていないころは集落の中で食料調達のネットワークができていたのです。
 当地でも一時、地鶏飼育がはやったことがあります。自前で美味しさを調達できる嬉しさとそれを横取りする野生動物とのいたちごっこが始まるとついには対抗できなくなりました。キツネは鳥が大好物です。目をつけたら何が何でも手に入れようと穴を掘り続け、持って行かれました。平飼いの鶏卵はヘビに見つかると丸呑みされます。時代の変化とともに渡り鳥が運ぶ鳥インフルはとっても厄介な侵入者で、手軽にタンパク源確保を自前でという時代ではなくなりました。
 魅力的なタンパク源を小規模で肥育して確保することも容易なことではないというのが現実です。ということで、一方通行の流れで取り込んでいるのが現状です。牛糞堆肥や鶏糞を使いながら、ブランド肉を仕入れ、育てた野菜と組み合わせて食事を提供することで資金調達という流れです。
 小規模農業と2,3次産業との兼業を復活させれば、今日本が抱えている様々な問題は半分以上克服できるようになるはずです。仕組みというか柔軟な法整備が進まなければ実現しません。規模拡大の農地集約よりは現実的でしょう。1人の人間を養うのにどれくらいの広さの田んぼがあればよいかご存じでしょうか。5aもあれば余るぐらいです。2人暮らしで10aです。300坪。
 農地法を組み立て直して、小規模自立兼業農家を政策として推奨すれば荒廃地や耕作放棄地は確実に救済できます。あわせて企業の一極集中を禁止する政策をとることで人の流れが変わり、過疎地へ人が流入するようにコミュニティを再編成すれば実現可能なことです。大百姓も小百姓も共存できる仕組みはそんなに難しいことではないでしょう。縁故のない人が空き家に入って菜園をしながら生活できることを許可しないのが今の法整備のお粗末なところであり、農政の権力を擁護するためにも手がつけられないところではないかと解釈しています。



ご飯が美味しくなるおかず  20180108

  「京大東京オフィス」の「農学部、京の食を語る」で伏木亨教授の講演要旨を読んでいると、出汁と灰汁に対する考え方が和食と洋食、中国料理では真反対になっているというのが一番興味深いところでした。和食の世界では雑味が美味しさを邪魔するものとして灰汁を取り除いてきました。出汁の旨味と醤油、味噌、塩の塩味をバランスよく組み合わせて塩味を控えたのが伝統的な和食です。
 洋食は小麦粉の糖質を効率的に美味しく食べる方法としてパンに辿り着きました。水分の少ないパンは脂質を加えることでのどごしや風味を高め、旨味が凝集されたおかずで満足度を上げています。ところが、旨味の名コンビ糖質と脂質の過剰摂取が原因の肥満というリスクも多くなっています。ダイエットでご飯の量を規制している方が、ご飯を減らした分、他の脂質や糖質が増えると規制した効果はなくなります。一食一食の総量を意識しないといけません。
 話がちょっとそれてしまいますが、「米」と「パン」という使われ方にとても違和感を覚えてしまいます。カテゴリー違いになっているのです。「米」と対になるのは「麦」であり、「パン」と対になるのは「ご飯」です。
 ご飯は水分量が多いため、おにぎりというシンプルな形で食べることができます。まさかの組み合わせでパンに梅干しやおかかを挟んで食べることは無理がありますからだれも実食しないでしょう。しゃりの代わりにパンの上にマグロの刺身をのせても食欲はわきません。
 美味しく食べられる組み合わせが変わったのは、洋食や中国料理を手軽に口にすることができるようになってからです。しかもそれぞれの元祖からは考えられない組み合わせで美味しく食べられるように進化してきたわけです。ご飯に合うようにアレンジされたというのが現実です。その結果カロリーオーバーも起こりやすいと考えられます。
 冒頭の伏木教授の話の中でもう一つ美味しさの秘密が語られていました。昆布出汁は生臭いということから世界中の人々が嫌っているそうです。昆布の食習慣がない人にとっては好ましい香りとして受け入れる経験が全くないからで、習慣的に食べると好ましくなるというのです。
 くさや、納豆、なれ寿司、酒盗、うるかなど珍味オンパレードですが、旨味と香りに洗脳されないとほぼ食わず嫌いになってしまいます。和食が香りのある食材を駆使してきたのは、ご飯を美味しく食べるおかずを追求してきたからという結論になりそうです。
 肉を塩コショーだけでシンプルに調理するとご飯の美味しさが引き立ちます。野菜の素揚げやかき揚げは塩をふりかけるだけでご飯のお供になっていきます。漬け物も風味を加えることでご飯に寄り添います。ぬか漬けが好まれるのは口に運んだときに発酵臭を感じ取り、噛みしめて旨味を味わえるからです。




日本の箸と食文化  20171201

  普段使いの箸が傷んできたので取り替えたところ悩ましいことが頻発するようになったのです。取替前は塗り箸で、使い込むと先の塗料がはげ落ちて少しずつ短くなっていきました。箸をかじっているわけではなく、普通の扱いです。取替後の箸は堅い木を削って染料で色づけされています。先端の形を維持しているので硬さが実感できる箸です。
 しかし、この箸は素人が作ったのではないかと疑っています。実用的な道具としての誇りを持っていません。豆は難なくつかめます。味噌汁の具も滑ることなく快適につかめます。煮魚、焼き魚を食べているときに悲劇は起きました。持つ手を思い切り広げてもあばら骨や血合いの小骨がつかめないのです。細身の方に向かってカーブを描いて削り出しているからです。実用性を追求してきた作り手なら、箸を揃えたとき先端に隙間はできません。割り箸が基本の形です。カーブを描いた削り出しの利休型の箸は手に添えることで先端がつくように作られています。
 手を汚すことなく魚の骨をよけながら魚を食べる日本の食文化は箸という道具に支えられてきたと考えられます。粘りのあるご飯粒を綺麗に食べきれるのも箸のおかげです。魚の骨をつかめない箸は食べる楽しみをそぎ、ストレスの原因になりそうです。箸なら何でもいいということにはならないのです。調理された食べものを快適に食べられるように用意された道具ですから、調理法が異なる中国や韓国とは形が違って当たり前です。
 不器用だからつかめない。正しく持っていないからつかめない。塗り箸だからつかめない。先端がそろわないからつかめない。言い訳はいろいろありますが、理にかなった箸使いを教わるか学ぶ努力をすれば修正できます。親切が仇になったのは先端に滑り止めの溝を入れた箸の存在でしょう。大きなお世話です。口当たりもよくないです。
 余談になります。日本食の器は箸文化とともに使いやすさを追求してきました。スプーンやレンゲを使わない日本食は碗に口をつけて食べたり飲んだりできるような形になっています。碗の端は立ち上がりが真っ直ぐで、反り返った碗はありません。西洋食は口を器につけることなくスプーンで飲むことしか考えていないのです。ツルとキツネのお呼ばれみたいなことにはならないでしょう。
 さらにおまけの話として、紅茶のカップと皿の使い方の逸話です。磯淵猛の「基礎から学ぶ紅茶のすべて」P31にある絵画の場面を指摘していました。コーヒーではなく紅茶の話だそうです。取っ手のないカップが使われたころ、皿に移して冷ましながら飲んだということです。伝統的なティーカップはヨーロッパの磁器ブランドにありますが、それらの中に縁が立ち上がったものがあります。口をつけて飲みやすくしています。さらには聞きかじりです。カップの容量と皿の容量が同じになっているらしいのです。
 食文化の本を読んでいると当時の生活感が分かり興味深いことが次々と出てきますね。



自農で美味しいご飯  20171103

 米がご飯になったときに何を基準にして美味しいと感じているのか、化学的に紐解いてみることにしました。米の成分と食味の関係は研究データがコピー、コピーでたくさん一人歩きしています。ネット上で検索すれば似たような記事に出会います。数ある中で、鈴木保宏「米の品質構成要素の特性」を参考にしました。
 米の成分として最も多いデンプンは2種類で構成されています。アミロースとアミロペクチンです。アミロペクチンだけで構成されているのが餅米で粘りのあるもちもち感が特徴です。アミロースというデンプンが多くなると粘りの少ない硬いご飯になります。東南アジアで食されている長粒種、インディカ種が当てはまります。うるち米はアミロースとアミロペクチンの比率で日本人好みの適度に粘りのあるご飯になります。アミロースが少ないうるち米ほど食味が上がってくるのは餅米に近づいているわけです。誤解のないようにしてほしいのは、品種だけでこの比率が固定されていないということです。いくつかの条件が重なっています。
 北海道産のミルキークインは低アミロース米としてブランド力がありますが、比率は数%から10数%の開きがあるようです。これはコシヒカリに代表される美味しい米の開きより大きいそうです。北海道だからなせる品種で、岡山に持ってきても低アミロースにはならないでしょう。
 アミロースの比率が変わるもう一つの要因は出穂後の登熟期間に高い気温が確保されるならばアミロースは少なくなるそうです。逆に低温が続くとアミロースは多くなり食味が落ちることになります。冷害の影響を受けやすい北海道や東北地方は天候に左右されない低アミロース米に美味しさを求める流れになっています。困ったことに気温が高ければいいという単純な条件にはなりません。厄介なのは高すぎて高温障害が発生すると見た目に大きく影響が出てしまいます。飴色の玄米になるのです。
 ということで、プンゲンスで提供している古代米入りのご飯がなぜ美味しいのかという理由は、上記のような条件から推察できます。ヒカリ新世紀というコシヒカリ同等の米にアミロペクチンだけで構成された餅米の古代米が加わることでもちもち感がより明確になっているからです。世間一般の食べ方は黒米玄米を混ぜて色をつけているだけです。デンプンから作られたポリフェノール類のアントシアニンだけに特徴を見いだしているところが大きな違いです。
 美味しさの秘密はもう一つあります。精米成分の7%前後を占めているタンパク質です。美味しさにとってはタンパク質の多さが足を引っぱることになります。穂肥と呼んでいる出穂期にあわせた肥料の窒素分が多すぎるとタンパク質が多く生成され、アミロペクチンが減り、粘りが減ってこわばったご飯になるということが分かっています。コシヒカリは軟弱な草が倒伏しやすい欠点を保っているので窒素分を控えめに作ることが言い伝えられてきました。結果的にタンパク質生成が抑えられ、食味にも貢献しているのではないかと思われます。
 美味しさの品質維持の秘密は12℃の保冷庫にあります。水分量の変化をおさえ、脂質の酸化を遅らせる役目を果たしています。脂質は糠の部分に多く含まれますから、精米することで減りますが、なくなることはありません。食味はわずかずつ落ちていることになります。
 デンプンの比率、タンパク質の含有量、それらを左右する気温と肥料が美味しさの決め手ですと言い切れないところがあります。籾の乾燥が14.5%で均一になっているかというようなことも影響しますし、洗米、浸水の仕方でも変わってくるでしょう。味という分かりにくい微妙なところをわずかな違いで一喜一憂しているような話題です。ブラインドテストをすればその信憑性はかなりグレーゾーンに入りそうですね。品種選びを適地適作に従って自農している人間が食べ比べた結果、保証書つきで美味しさを押し売りしています。正体が明らかなご飯は味のよさも安定に保っています。



古代米黒米のアントシアニン  20170920

 ポリフェノールは色素系のフラボノイドと色素以外のフェノール酸に分類され、色素系のフラボノイドの中でもアントシアニン色素は様々なところで話題になりました。ポリフェノールは植物にとって自らを守る重要な物質になります。研究が盛んになった背景は、抗酸化作用が人体の健康に大きく関わっているらしいというあたりから、様々な成分ごとの有用性や機能性が検証されてきました。短期から長期へと検証結果が出てきているなかで、センセーショナルなマスメディアの取り上げ方こそ正体を見抜きながら情報の根拠を整理すべきだと主張したいところです。
 科学的に条件が整っているか、統計学的に証明できるデータの取り方をしているかだけでなく、検証に携わった人々の個体差や遺伝因子なども含めてコントロールしている臨床実験かどうかは気になるところです。最悪なのはレポートの都合のいいところだけが一人歩きして、売り文句に利用されたり、購買意欲をくすぐる材料になったりするところです。
 2000年に全国28の消費生活センターが食品分析の共同比較テストを実施して結果を公開しています。P42の一般的コメントの中の「ポリフェノールだけに関心をもつのではなく、ビタミンやミネラルを含めた栄養のバランスを考えた食生活を普段から心がけたい。」という記述を引用します。ポリフェノールの能書きはそこそこに受け止めてこの部分が消費者の立場に立った重要な考え方になります。能書きは製造販売者の立場から見て重要になるところです。
 ポリフェノールの多寡で健康維持が左右されるといわんばかりの効果に振り回されないことを申し上げたいのです。冷静に考えてほしいのは、健康維持の土台になるのは3大栄養素であり、微量元素であり、ビタミン類、ポリフェノール類などなど、食品摂取から、偏らず、不足せずが原則になります。特定の機能食品であることが証明されたとしても、健康体を維持する食べものとしてトータルに必要なものがそろっていなければ本末転倒になります。
 機能性食品のお墨付きを「体にいい」というところだけ強調した情報操作の罪は大きいと思っています。カカオポリフェノール、大豆イソフラボン、ワインアントシアニンなどなど、ここ十数年の間に世紀の発見に値しないような研究レポートが、商いに利用されてきた現実をこそマスメディアは話題にしてほしいと私は考えています。
 2003年小野外3名「岐阜県産黒米からのアントシアニン系色素の抽出溶媒の検討」では黒米の成分分析を継続して行っていますが、成果は抽出効率の段階です。アントシアニンがどれだけ黒米に含まれているかという結果から、食物として摂取した人体がどれだけ吸収したかまで成果が積まれ、それぞれの年齢層で摂取した場合と摂取しない場合の違いが明らかになったときに初めて黒米は健康維持に有用な食品であるということが言えるわけです。他のポリフェノールの影響を考慮しなければならない臨床研究ですから、簡単に白黒つかないことは素人目にも想像できることです。現在進行形で「らしい」というのが一番信憑性のある表現でしょう。
 満腹感を得ることが一番だと考える方もいると思いますが、食べる以上は美味しいものを食べたいという方が圧倒的に多いのではないかと予想します。美味しくなくても体にいいから我慢して食べるという人も中にはいるでしょう。1つの価値観で縛るから間違いが起こるわけです。バランスよく食べてほどよい満腹感を得る、美味しいものをバランスよく食べる、美味しいものも美味しくないものもバランスよく食べる、になればいかがでしょう。
  バランスの中身が問題ですから、多様な食品を飽きないように調理し、アレンジすれば健康維持につながるはずです。曖昧な根拠だと批判を浴びそうですが、食べることの歴史が物語っています。長年の交易で日本の食文化は他国には見られない多彩な中身を作り、恩恵に預かっているところです。因みに古代米の黒米は中国雲南省から持ち帰ったそうです。



肥料と食味  20170907

 近代農業に大きな貢献をした肥料は、様々な誤解や無理解、一面的な評価に振り回されてきたいきさつがあります。未だに根強く間違いが堂々と語られている場面も多くあります。肥料と作物を論議するとき、複合する要因があることに気付いてほしいところです。使用総量、有効量、残留量、土質、降雨、灌水、気温、日照などがからんで、口に入る作物の中身が肥料の効果で完成することは容易に想像できると思います。
 圃場と天候にあわせて適量を計算して施肥すれば、どちらを使っても作物に差は出ないと考えることが妥当です。ただし、肥料成分の総量だけでなく、有効期間も勘案しての使い方です。肥料が徹底的に管理されている栽培方法は水耕栽培になります。一般圃場や家庭菜園でマニュアル通りの施肥を行っていたら、過剰になる可能性は多分にあると予想できます。肥料過多は食味の問題を除けば、見た目も収量も魅力的な結果になるでしょう。
 廣田智子外、2002年、「土壌と肥料の違いがホウレンソウの生育および品質に及ぼす影響」とBSI生物科学研究所 No.27「野菜の硝酸態窒素」の2つのレポートを読み比べることで、なぜ有機肥料栽培を善玉に仕立て上げたかという経緯がよく分かると思います。これらは論文標題を検索すればネット上で読めます。比較する条件については納得できない部分がありました。
 ということで、福農園では作るものの特徴にあわせて肥料は少なめにしながら、土が疲弊しないように発酵牛糞を耕耘時に必ず入れています。野性的なもの、例えばミツバやスイスチャードは発酵牛糞だけで育てています。旬の時季に外食してかすかな記憶をたどりながら食べ比べると明らかに野菜の食味は違います。牛糞だけ、牛糞と鶏糞だけ、牛糞と油粕だけという組み合わせでホウレンソウを同じ圃場で作ってきましたが、えぐみの少ない食味のいいホウレンソウは牛糞だけが美味しいという結果をもたらしました。市場に出すと色味が悪いと敬遠されるでしょうね。
 同じような考えで米作りもJAの営農情報や品種説明にある施肥量の最低ラインをやや切るぐらいの量で行っています。価格に見合うだけの優れものが被覆処理による溶出タイマーが絶妙の一発肥です。しかし、寒冷地型の品種を暖地で作ると食味では寒冷地に負けてしまいます。暖地で作ったあきたこまちが期待するほどの食味にならないのは、肥料のせいではなく、熟すときの昼夜の寒暖差の影響が大きいようです。
 科学的、統計学的に食味を一般化して、一定の評価を与えてきましたが、人間の味覚感覚は繰り返し同じものを食べ続けることで、刺激が慣らされてしまいます。性能がさほどよくない嗅覚も繰り返すことで慣れてしまいます。例えば、私は初めての納豆の臭みに嫌悪していたのに、繰り返し食べ続けることで慣らされて、嫌悪しなくなるのと同様です。美味しさを追求するためには、常に同じものに固執するのではなく、新たな刺激を求めていかないと感覚が慣らされて鈍感になってしまいます。メニュー開発こそ食味の感覚を磨く最善の方法になります。
 実は、肥料と食味の背景にある問題点は硝酸態窒素が硝酸塩として残留する野菜と動物性タンパク質が鮮度の低下とともに変化したアミンと出会うことによってN-ニトロソアミン(発がん性が確認されている物質)が合成されることです。硝酸塩が悪玉ではありません。アミンが悪いのでもありません。肥料の与え方に問題のある硝酸塩の多く残った野菜とアミンを同時に食するときに問題が起こるということです。手作りハムのメーカー(歩人)が発信している硝酸塩を発色剤につかう理由はボツリヌス菌を押さえ、臭みを消すためと明言しています。ヨーロッパの岩塩に硝酸塩が多く含まれていることが製法の要になったということです。硝酸塩はハムより野菜の方が多いぞという話でした。




快食快便のメカニズム  20170822

 美味しいものを選りすぐって味わい、噛み砕き、のどごしの心地よさを感じ取ると食べる喜びが完結すると考えるのは早合点しているようで気になるところです。美味しさの記憶をたどりながら、再び食べたいという欲望に駆られ、満腹中枢を満たすだけではつまらないと思うのが食べることへの好奇心になるでしょう。それを支える咀嚼動作と嚥下動作は、不調になって初めてその重要性に気付くことになります。自力で食べられることこそ生きている証になります。
 当たり前の日常として食べ続けるためには必ず排泄します。排泄が不調になるということは食べるものに対する躊躇がつきまといます。便秘も下痢も心地よいものではありませんから、どちらも願い下げたい状況です。

 下痢はとりわけ病気や食中毒と密接な関係にありますから、食べる喜びを阻む出来事です。自律神経の不調による下痢は経験した人でないと分からない負の連鎖にはまり込んでしまい、神経質になればなるほど治まらないのです。さらには冬場に多発するノロウィルスやロタウィルスによる下痢は悲惨な症状をもたらします。点滴の処置で救われこともありましたね。数十年の間にウィルスは変身して症状を重くしているというのが実感です。

 便秘も似たようなことが考えられますが、要因が一筋縄ではいかないところに脱出できない人が多いのではないかと思います。かつての私は便意を我慢することによって便秘の引き金を引いてしまいました。出たかったのに出さないと直腸にいる便はどんどん水分が減って、圧縮されていきます。最悪自力で排泄できない事態になってしまいますから、たかが便秘と侮れません。生活のリズムに合わせた便意をコントロールすることで解決できます。起床後か朝食後のタイミングでもよおすのが最適です。

 2つ目の要因は、便を構成する食べものの種類が多くなるような食べ方をすることで救われます。肉とデンプンは消化の過程で粘土のような状態に変化していきます。押し出すのに手間取るのがこの状態です。食物繊維の残骸が多くなると水分の入り込む余地ができますから、快調に運ばれるという仕組みです。多様な食材を偏らないように摂ることが必要な栄養を摂り、便秘を回避します。
 さらなる要因として生活スタイルの変化が便秘を増やしています。最近、ネット上の記事で見かけることも増えました。和式便器が激減して、洋式便器が主流になったことに関係しています。しゃがんだ、いわゆるうんこスタイルは排便にとっても都合のいい姿勢になるということです。便座に座ってしまうと出にくい状況を自ら作っていることになります。洋式に座る場合、前屈みになり、かかとを浮き上がらせて極力和式便器のうんこスタイルを作ればいいのです。

 安易に便秘解消によいという食品や便秘薬に頼る前に排便のメカニズムをきちんと理解して、生活スタイルやリズムを作ることが快食快便の近道になると考えます。腸の長さは男女や肉食、草食によって違いが最適化されています。体内の状況に反する偏食は便秘の引き金を引いていることになるでしょう。

 ○○にいい食品、あるいは○○は△に効くというような断片的な情報のかけらに惑わされないのが一番です。経験的に効くというものを食べて効いたことは多くないです。自分が食べるものを自分で作っていると好きなものだけに絞り込みやすそうですが、食い飽きるという事態を避けるために未経験の食材に興味を持つようになりました。多様な農産物を食すことで、快食快便は続いています。



必要なものだけを食べる  20170725

 どうしてベーコンを手作りしようと思ったのか?その答えは加工食品につきものの食品添加物から逃れられるかという問題解決を実行したからです。腐敗を克服することは利便性や利益をもたらします。裏側にあるのは安全性です。相変わらず大丈夫という人々は、動物実験の結果を根拠に自信を持っておられるようです。私は人体実験が進行形で実施されていると考えています。逆に安全ではないと主張する方々は、安全基準は100%を保障するものではないから、リスクがあると判断して不安と恐怖を煽っています。

 加工食品には添加物を明記しなければなりませんから、そのつもりでラベルを見れば気にしていなかったことが気になることもあると思います。どうして発色剤を使うようになったのかという答えと、どうして真っ直ぐなキュウリを売るようになったのかという答えは同じところにあります。肉の赤色は時間とともに黒ずんできます。血色のいい肉が売れ、変色した肉は消費者が避けます。真っ直ぐなキュウリと曲がったキュウリを同じ値段で売ると真っ直ぐなキュウリを消費者は選びます。見た目で消費動向が変わるという市場の価値観に知らず知らず生産者も消費者も洗脳されてきたと思います。見た目、血色のいいベーコンやハムは亜硝酸ナトリウムが使われています。「無塩せき」と書いているものは発色剤が添加されず、保存期間は短くなります。消費者サイドで商品が選択できるようになっています。マイナーなメーカーの方が小回りがきくという傾向はあるようです。

 ベーコン加工技術の情報を集めていく中で、初期のころと現在では食品保存の技術が大きく変わっているため、現状にあった加工と美味しさを追求した方がいいと考えました。昔は塩蔵、臭み消しのコショウが主で出来上がりの塩辛さは腐らせないために必要な濃さでした。保存料のソルビン酸やビタミンCが酸化防止剤として使われてきましたが、短期冷蔵で対応すれば必要ないものです。

 燻煙は肉表面の殺菌効果と香りと味のアクセントづけに大きく貢献していますから、これはそのままです。先人は煙の元が広葉樹のサクラやクルミが適していることを経験的に積み上げ、引き継いできたおかげで美味しいものが洗練されています。

  糖は旨味を引き出し、美味しいと思わせる味付けのために投入されているので、必須のものではないようです。調味料のコンビネーションはその比率によって絶妙のうまさを引き出すことになりマジックのような役目を果たします。日本獣医畜産大学畜産食品工学科肉学教室のレポートによると、砂糖は肉を軟らかくする効果があるということです。さらに、調理するときの加熱でメイラード反応も起こりやすくなります。隠し味を持ち込むことで美味しさが倍増する仕組みです。

 添加物や薬品の情報は収集していけば丸見えという状態に近いと思いますが、すべてが明らかになっているのではなく、グレーな部分も多いわけです。天然由来だから大丈夫という印象を与えるのも情報操作です。神経質に排除を続けていると最終的に大丈夫なものは何一つないということにもなりかねません。巷には不安と危険だけを煽る記事や発言も多いですから、冷静に幅広い知識を吸収して総合的に判断する力をつけたいところです。

 できあがったベーコンは素朴な色合いとシンプルな味で脇役にぴったりの食材になりました。



燻製の味わい  20170621

 商品化された燻製としてはベーコンを筆頭に、スモークチーズ、スモークサーモン、スモークソーセージなどがお馴染みでしょう。長期保存食というより、燻した香りと味を楽しんでいます。塩と煙と熱で腐敗菌を押さえ込むのがそもそもの始まりです。燻したら腐れないぞ、味もうまくなったぞ。人類が長年悪戦苦闘した腐敗菌は悪玉菌のようにいわれてきましたが、悪玉の性質はないようです。腐敗臭と食あたりが因果づけられ、濡れ衣を着せられたというのが真相です。食中毒菌と腐敗菌のメカニズムが分かっていると臭いをかいで「これは腐敗臭がしないから大丈夫!」などと当てにならないことをいうことはなくなるでしょう。食中毒菌は見た目で判別することができないのが常識です。

 燻製づくりでは塩漬けしてまた塩出しをするという工程が欠かせません。塩で雑菌を遮断し、肉の水分を減らして腐敗菌の繁殖を妨げます。水に漬けたら雑菌繁殖が始まりますから、また、乾燥させるという手順を踏みます。タンパク質が変化しにくい80℃前後で燻すことによって熱殺菌、燻煙殺菌をします。作業の一つ一つが腐敗菌排除をめざしているわけです。現在の冷蔵、冷凍技術を使えばこんなことしなくても生肉で保存できるのですが、燻された香りと味に魅せられてしまったのが現在なお流通する理由ではないかと察します。食べられるもの、美味しいものが生き残る食文化です。

 燻煙に使う木は先人の試行錯誤の結果が集大成されています。余計な影響を与えない適材としてサクラが一番です。樹脂の多い木はそれだけで香りが高いからよさそうに思えますが、煙にするとまずい成分になってしまうようです。ということで、薪ストーブの燃料調達の際、燻煙材としてサクラだけは抜き取り、確保することにしました。クルミ材も適材のようですが、目の前にあっても伐採の機会は少ないです。

 これまで豚バラ肉とイカ、ホタテ貝柱を加工しました。毎回味が変わり、安定な味に固定するまでにしばらくかかりそうです。さらに、季節によって気温が変わり、仕上がりに影響がありそうです。ただ、腐敗菌に邪魔されず仕込みができるのは冷蔵庫のおかげです。乾燥や燻煙後の熟成には冷蔵室を使っています。

 臭いと味が調和している燻製の魅力はスモーキーフレーバーとして奥深いものを感じます。万人向けの条件でしょう。どんな食材でも可能ということにはならず、馴染めなかったのはダイコンです、そう、いぶりがっこ!水分過多で煙の味がまろやかにならず、とげとげしいと個人的な印象を持ってしまいました。タンパク質との相性がいいという自分なりの結論です。

 臭いと味が一致しないこともある発酵も奥深いものがあります。しかし、しばしば異文化の住人によって腐敗臭と発酵臭は攻撃の的になりやすい食べものです。納豆やシュールストレミング、くさや、うるか、酒盗、鮒寿司、熟れ寿司などは好き嫌いが両極端の食品ではないでしょうか。口にしたことのある方は、賛否がはっきりしていると思います。どちらでもないという選択肢は表れず、食べものとは思えない、美味しいのどちらかでしょう。

 これまで製品を買って食べるだけの燻製の世界でしたが、いざ自分で作ってみると興味がわき、好みの味を安定に作りたいという願望が強くなってきました。ということで、進化していくとは思いますが、第2弾のベーコンから食材提供してメニューの中に入り込みます。



お焦げと炭化  20170515

 いつのころからか、家でも店舗でも焼き物の黒く焦げたところを拒否するようになりました。炭化=癌の原因みたいに思い込んだためかもしれません。そんなことより何より焦げて炭化したところは美味しくないんです。それもそのはず、炭ですから。焼き鳥や鰻の蒲焼きなどはタレの香ばしさに隠れて、炭になったところは複雑な味わいになってしまいます。

 餅を焼くときのキツネ色は美味しさの目印になりますが、一歩過ぎて黒くなるともはや美味しさ半減です。境界にはタール分が匂ってきます。料理の科学で繰り返しいわれてきた言葉にメイラード反応とカラメル化という現象があります。黒焦げになる前の絶妙な美味しさの化学反応です。

 カラメル化は糖を絶妙の温度で焦がしていくとできます。メイラード反応は糖とアミノ化合物を焦がしていくときにできあがります。いずれも過ぎれば炭化です。

 家庭料理でカレーを作るときに肉を炒めるのはメイラード反応に辿り着いて旨味を引き出すことを狙っています。ところが火加減によっては期待する反応まで辿り着かないで、次のプロセスにいってしまうことが多いのではないかと思います。焼き鳥や焼き肉のタレ焼きは典型的なメイラード反応の調理法になります。

 キツネ色に焦がすという調理法はなんにでも通用するものではありません。ご飯のお焦げが美味しいという人がいますが、一瞬間違えると炭化となり美味しさとはかけ離れます。もっと旨味を引き出すには焼き肉のタレでおにぎりを焼けば絶品になること請け合いです。卵焼きは焦げ目がつかない方が見た目に美しくなります。だし巻きの妙技です。フライは焦がしますが、天ぷらは焦がしません。繊細な調理法は和食が得意とするところでしょう。

 中華の強火での調理は水と油の温度コントロールがすばらしいにつきます。手際よさが黒焦げを回避しています。一方、家庭用のビルトインタイプの電磁調理器には電熱のグリルというかロースターがついています。温度のコントローラーとタイマーを使うと焼き魚や肉の照り焼きなどがキツネ色に綺麗に仕上がります。予熱して使うようにすると回数を重ねることで、経験的に食材の量と厚みで火加減と時間が予測できるようになりました。

 見た目の美味しさ、食感の美味しさ、香りの美味しさ、味の美味しさ、のどごしの美味しさなどなど、味わう楽しさがいっぱいあるのに一口噛みしめて「美味しい!」「旨い!」で片付けてしまう食レポは表現力の貧しさをあらわに押し付けています。普通に考えて、料理人はまずいものを客に出すことはしません。美味しいと自信の持てる料理を出しているのですから、美味しいのは当たり前のことです。何がどのように気に入ったかを話してくださるだけで繊細さを共有できます。




タケノコの常識を疑う  20170509

 地面からのぞいていない早堀りのタケノコ、朝掘り、ずんぐりむっくり、持ち帰ったらすぐアク抜き、水から茹でる、皮をつけたまま茹でるなど、孟宗竹のタケノコについてはこれが常識だという話がけっこう知れ渡っています。ところが、小机ゑつ子・水野進「タケノコのホモゲンチジン酸含量に及ぼす収穫時期、重量、栽培地ならびに貯蔵の影響」1989の論文を拾ってきて読んでいると意外な結果が出ていました。

 ホモゲンチジン酸(HGA)はタケノコのえぐみの主要な成分の1つということで、シュウ酸とともにアク抜きの対象成分です。重量の結果から細いものよりずんぐりむっくりの方がHGAは少ないということで、これは噂通りでした。およそ900gのサイズがほどよい大きさとして示されていました。

 早堀りの地面からのぞいていないタケノコはえぐみがないとよく言われていますが、出始めはHGAが多いという結果になっています。サンプルは姫路市内のタケノコですから、4月中旬が最盛期でこの頃から5月初旬ぐらいまで徐々にHGA値が下がっていくというのです。4月中旬以降、ずんぐりむっくりの顔を出しているものでHGAのえぐみは少ないという結果に驚きです。常識は覆っていました。

 常温で一日放置したタケノコはその後にアク抜きしてもえぐみは強く、硬くなっているというのが常識でした。保冷基準の1℃で保存したものは9日間でHGAが半減以下になっていました。しかし、20℃では2日目にピークといってもわずかしか増加せず、その後は同様に半減していました。硬くなるという点ではアスパラガスと同じ生育ストレスで直立しようと筋が増えていくのと似たようなことがおきているのではないかと私は推察しました。

 産地によるHGA値の違いは熊本、鹿児島に高い値が出ていますが、裏付ける条件は特定できていませんでした。天候、地勢、土壌、日照など要件は多岐にわたっているので単純に概観したに過ぎない結果です。

  引用結果としてHasegaw 1956によるとタケノコを切断して24時間後にはHGAが35〜65倍に増加する話が掲載されていました。当時の測定方法が異なるところから大きな違いになっていますが、持ち帰ったらすぐアク抜きの根拠がこのあたりです。

 ということで、総合的に判断すると出始めより最盛期のずんぐりむっくり900g程度の大きさが一番美味しく食べられそうです。アク抜きの科学的な根拠はアクの酸性成分をアルカリで中和することと、米ぬかに多く含まれるカルシウムとシュウ酸を結合させてシュウ酸カルシウムの状態で晒すことになります。

 産地が特化している事実から、HGAは竹林の生育環境にも大きく依存しそうです。残念ながらそんな厄介な比較研究のデータは見つかりませんでした。岡山・真備や京都・神足はなじみのある伝統的な産地です。我が家の竹林は北に向いた赤土で育っています。長年親しんできた味です。

 皮を剥くか剥かないかはアク抜き作業で一度にたくさん処理するためには剥くしかないというのが我が家流です。ダイコンおろしでアク抜きという方法もダイコンの旬とはずれているためそんな発想は農家にはありません。自家精米しますから、糠は日常的な材料として手軽です。糠がない人は洗米の最初のとぎ汁を使えばかなり近い効果は得られます。



和食はなぜ優れているのか  20170503

 一番優れている理由は発酵調味料の多彩さです。醤油、味噌、酢、味醂は麹菌のおかげで成り立っています。四季折々の日本の風土を生かした材料と作り方はよそではまねることができないでしょう。外国にある酢はワインの工程から辿り着いたもので、天然酵母によるアルコール発酵という点では原料が違うだけで共通しています。

 次に優れている理由は、バランスの取れた雑食の文化でしょう。もちろん多彩な雑食は中国が最たるものです。津々浦々まで浸透している雑食文化は日本の方が一枚上手だと思います。海に囲まれ、内陸との食材交流は歴史的に培われています。牛肉を中心に置かなかったのは、食材の種類の豊富さが影響したと考えられます。宗教を理由に牛を食べないという歴史の流れもありますが、庶民の暮らしの中では中国に劣らない多様な肉食の史料が見つかっているようです。

  要は狩猟に頼らず食肉増産が食文化を塗り替えたことになります。馬は乗るもので食べるものではないとか、鯨は神聖なほ乳類だから食い物ではないとか、牛は大切な働き手だから家族同然で食べるものではないとか、相容れない文化が衝突することもあるわけです。しかし、コストを顧みず肉の美味しいところを多彩に供給しているのが日本です。

 3つめの理由は、調理方法と配膳の妙技です。大皿盛りにして、食べたいものを食べたいだけ取って食べる方法は最も不健康な食べ方になります。中国料理店やバイキング方式の食事を好まれる方もいるでしょうが、自制心と知識がなければ危険と隣り合わせです。偏食と大食を促進するからです。フランス料理が今のような盛りつけになったのはその点を反省したからだという食文化研究があります。

  美味しさを味わいながら、ほどほどの量を食す茶道の懐石膳は食べることの意味をよく伝えています。調理方法は、煮る、焼く、蒸す、揚げる、炒める、浸すなどがありますが、最も自慢できる出汁の文化は中国料理よりぬきんでていると思います。和洋中華が入り乱れる中で、出汁とソースが融合すると最強でしょう。


 4つめの理由は、独自の発酵調味料と香辛料がもたらす漬け物文化です。諸外国は乳酸発酵の漬け物が主流です。醤油、塩、糠、麹など多彩な漬け方を楽しんでいるのが和の漬け物文化です。プンゲンスでは肉をメインにして一見洋食のように見えますが、和食の考えを中心にしています。例えば、発酵調味料である醤油、酢、味醂を同量ずつあわせた調味液で漬け物は漬けています。

 健康補助食品の製造販売者に対して敵対するような発言です。サプリメント、栄養補助食品は有効成分が大量に含まれているといっても、体が吸収できる量はたかだかしれています。それよりも厄介なのが、単独では吸収されにくいものも多々あるわけです。口から入って多くは体をすり抜けて排泄される運命となっています。様々な食品を取り混ぜながら微量成分を取り込む和食は相互作用のバランスが優れており、自信を持って食べ続けたいものです。日々の食事で、食品から栄養を吸収することが自然の摂理だと考えます。



野菜端境期のやりくり  20170328

 3月、4月はとう立ちの季節です。自農自食の悩ましい時期といってもよいでしょう。根菜類はとう立ちすると花茎を支えるために硬くてしわい筋が入ります。やがて、根菜類も葉もの類も花盛りになって、つぼみを摘んで食べるという日々が続きます。

ネギは花が咲く前の今が一番美味しいときです。年明け以来、食べるだけ抜けばよく、重宝しました。ネギ坊主が出たら、株分け植え替えとなります。頼りになるのはスイスチャードの葉の成長です。気温上昇とともに葉は大きく育ちます。あわせて虫もしっかり狙ってきます。

 ジャガイモの植え付けが一番のりで、サトイモ、ツクネイモ、コンニャクなど食べるのは終わって、植え付けになります。コンニャクだけは下処理で煮て、皮を剥いたものを冷凍保存し、小出しでコンニャクに加工します。コンニャクの薬味として活躍するホースラディッシュはもうしばらくは使えますが、やがては花が咲き、食べる時期ではなくなります。

 手堅いのはブロッコリーのわき芽と温室で育てているアイスプランツだけです。4月になって季節限定の天然食材がタケノコ、ワラビ、タラノメ、コシアブラ、ノブキなどです。里山の自然に生えている春の香りを毎年味わって、端境期を乗り越えています。

 自家栽培は困難を極めている畑ワサビも綺麗に消滅してしまいました。今年も葉わさびを求めて関金まで出かける予定です。ワサビの花が咲くころが合図です。奥津でも畑ワサビを手がけているという情報があるので、偵察に出かけたいところです。



雑草は敵か味方か  20170314

 冬枯れの畑を見て「草1本もありませんね。」「綺麗にされていますね。」の言葉をよくかけられます。感心されたり、褒められたりは嬉しいことなのですが、草がないことは作物を育てる上で必要不可欠の条件になるのかという問題が立ちはだかります。

 草ぼうぼうの中で野菜づくりをしている人がテレビで話題になることもありま。すぐ隣の畑でも長年やっておられるのが、草だらけの畑です。何ら問題なく収穫に至っています。稚苗の段階で若干わずかの農薬に頼る場合もあるようですが、除草を綺麗にしている畑でも種類によっては頼らざるを得ないときがあります。

 違いがなければ何もえらい目をして草取りをしなくてもいいのではということになりそうです。しかし、草取りに取り憑かれてしまいます。草があってもなくても害虫を呼び込むことは避けられません。しかし、草を生やしたり枯れ葉をそのままにしたりすると害虫が滞在するには好都合になります。害虫にとっての居心地をよくない状態にする効果はあるでしょう。

 もう一つの効果は肥料分の奪い合いです。雑草と同居すれば、確実に強健な雑草に肥料分を奪われ、生育競争に負けます。水田に一時、コナギやホタルイが大発生したときは見た目にはっきりと競争に負けている稲を見ることができました。分けつも少なく、穂ばらみもお粗末になりました。畑ではちょっと様子が違い、窒素過多の弊害を雑草がいることで緩和する場合もあります。要はしっかり根を張って広範囲に栄養分を吸収できる作物が最終的に勝てばいいわけです。雑草は葉の伸びている範囲に根を張り巡らせていますから、それに負けない育ちをすれば問題ないでしょう。

 野鳥の目から見ると雑草の多い畑は幼虫の宝庫のようです。霜が降りるような時期でもヨトウムシの幼虫は草むらに張り付いて、気温上昇とともに葉を食べ、気温が下がると地面に潜りこんでいます。早朝窓際から隣の畑を眺めているとこのような餌取りの光景を目にします。

 雑草が気になるのは性格の問題でしょうね。スズメノカタビラ、トキンソウ、アカザこのあたりが特に気にしています。繁殖力が強いだけに目の敵にしやすい相手です。



甘い味噌、甘い野菜  20170306

 「味噌汁が甘いですね。」興味があり気にされている方からこんな声をよく聞きます。味噌の甘さはダイズの成分に関係する部分と麹の割合に関係する部分とがあります。糖化の担い手は麹菌のアミラーゼですから、味噌の原料であるダイズか米麹のデンプンを原料にしてブドウ糖を生成します。デンプンの多いダイズ品種を使い、麹をたくさん使うことで甘い味噌となります。さらに天然の酵母がブドウ糖に働くとアルコールを生成し、味噌の旨味の1つになります。これらの化学変化は味噌樽の中で均一に行われません。中心部が一番美味しところといわれています。

 ということで、我が家の味噌はなぜ甘いか。秘伝豆のデンプンは多いです。生豆に対する麹の割合は12歩の比率で仕込んでいます。これが甘さの秘密です。因みに10歩の割合は生豆と麹が同じ重さのときです。さらに付け足しておくと、白米の重さと麹にしたときの重さはほぼ同じになります。

 糖化は人間の体の中でも行われています。小学校6年の理科で学習する内容です。酵素とデンプンがブドウ糖をつくります。また、植物の光合成でも糖化は行われています。さらには調理技術で糖化をする文化があります。サツマイモやカボチャを60℃で長時間加熱することで甘さを引き出すことができます。石焼き芋の話題(20170220)で紹介したとおりです。

 一方、植物の中には生理的に我が身を寒さから守るために糖化を仕組む種類があります。ネギ、ニンジン、ハクサイ、ホウレンソウなど糖分を貯め込んで凍らせないようにしているというのです。1月、2月の寒ざらしが甘い野菜をもたらします。金時ニンジンを少しずつ掘り上げながら食べていますが、甘さの頂点はやはり寒中のころでした。今はとうだち前で、霜が降りる程度の寒さですから、甘さはおさまってきています。



番茶であり、晩茶ではない  20170226

 昭和30年前半、小学生のころの記憶です。えらい目をする割りには収入が少ない新芽の刈り取りを止め、春からしっかり伸びた茶葉の枝を刈り取って作る番茶に切り替えていたころです。梅雨明けを睨んで朝4時頃から茶葉の刈り取りが始まります。炎天下の作業は体を酷使しますから、極力涼しい時間帯にきつい仕事をこなしていました。朝飯もそこそこに茶葉の釜ゆでが始まります。煮上がると熱々の中、葉が取れた枝を集める手伝いをした覚えがあります。葉はむしろに広げ、寄せては広げの繰り返し作業です。昼下がり、葉が乾いてくると今度は煮汁打ちが繰り返されていました。丸2日かけて日干番茶ができあがります。

 できあがった番茶はむしろを3枚縄で縫い合わせて作ったサイコロ状の入れ物に詰めて出荷したり、紙袋に入れて売り歩いていました。学校、病院、役場などでは日常的に煮出して飲まれていました。そう、「番」には普段、日常という意味があります。

  晩茶というのは最後に刈り取った茶葉で作ったものという意味合いが込められています。煎茶や柳茶など蒸して、揉んで作る緑茶のあと、来年に備えて新芽を出しやすく、刈り取りやすくする台揃えという作業で出た茶葉が晩茶になります。

 製法は各地で工夫されています。缶に入れて蒸して作るのは奈良・大淀の日刊番茶です。福井・勝山の陰干し番茶は枝のまま干して、使うときに炒ってから煮出すというものです。世の多くの方が誤解しているのが、焙じ茶の正体です。京都・宇治の焙じ茶は別格で、玉露や煎茶を焙じて京懐石に合うお茶として提供されたものです。

 現在のように保冷庫がなかった時代は、1年経過して梅雨をくぐった緑茶は変質が進み、そのままではもう出せない状態になります。それを廃棄せず焙じることによって、番茶より香ばしくて美味しいというふれこみで売りさばいたのが事実です。つまり、緑茶より格下げされた商品に仕立てたわけです。もちろん、梅雨時をくぐった番茶も格下げして焙じ番茶へと変身するのです。苦味のカフェインや渋味のタンニンは日干番茶が最も少ないという特性から、病院の飲用に採用される根拠があります。

 プンゲンスで食事のときにつけているお茶は日干番茶です。焙じる一手間は無駄ですから、ありのままの番茶です。紹介したとおりの単純明快な製法で現在も続けています。



科学的根拠がある調理方法  20170220

 商いでされている石焼き芋の再現は家庭でもできるのだろうかという長年の宿題がやっとできたような気分です。ドラム缶に砂利を詰めて、たき火をしておきを作り長時間かけて焼いたイモは甘いという実体験はしてきました。火加減が強いと焦げ、弱火にすると生焼けになり、なかなか手軽にできるものではないため、ずっと置き去りにしていました。

 なぜ甘くなるのかは、東京家政学院短期大学教授の津久井の「サツマイモの栄養機能成分と焼き芋の美味しい焼き方理論」というレポートに詳しく書かれていました。高速液体クロマトグラフィーによる糖量のデータが添付されており、15.4%の麦芽糖が焼き芋では作られているという結果です。酵素β-アミラーゼが糊化デンプンに麦芽糖を生成すると説明しています。この酵素が働くのは芋の中心温度が約70℃で最も活発に働き、1時間程度維持すればできあがるそうです。津久井の説明の中でもう一つ注目しておきたいのが、焼き芋と玄米飯はどっこいどっこいの成分で、玄米には少ないビタミンCが加熱しても半分近く残っているデータを示していることす。(日本いも類研究会のサイトから引用)

 手軽に実現した道具は、薪ストーブのオーブンです。オーブン庫内を200℃で維持しようと思うと本気で薪を焚かないといけません。日常的には160℃ほどになっています。これが焼き芋にはちょうどいい感じで、アルミホイルでくるんで1時間ほど経過するとバッチリとても甘い焼き芋ができます。アルミホイルでくるむと水分維持に役立ち、表面の薄皮も簡単に剥けます。

 ブロッコリーと電子レンジ調理も日常的に使って下ごしらえに重宝しています。水洗いをして水がしたたるまま鉢に入れ、ラップで閉じ込めて「チン」するだけで、ビタミンCの残存率は97%というデータがあります。大阪市立環境科学研究所の川越らによる「無水調理によるブロッコリーのミネラル・ビタミンの変動」というレポートに詳細があります。茹で調理が42%ですから効果甚大です。

 たかが味噌汁と思われて、適当にあしらわれるとまずい味噌汁を飲むことになります。味噌工場の方の話です。味噌の旨味は65℃までに溶出し、香りは90℃以上で強く、沸騰させてしまうと香りの成分もアルコール分も飛んでしまうということです。水蒸気が鍋底でボコボコ出始めるのが90℃を過ぎてからです。ボコボコが連続し出すと95℃前後、コーヒーや紅茶はここから少し落ち着かせた温度が最適になります。沸騰という状態はかなり幅の広い温度です。いっぱひとからげに沸騰=100℃は調理の世界でも通用しません。



関西と関東の食文化の違い  20170216

 もの食いがいいおかげで関東、関西両方を味わってきました。関東に在住したことはないのですが、特徴ある食べものは少しずつ全国区になってきたと感じます。そこで、知る人ぞ知るご当地食材を紹介しておきます。

 はんぺんと平天は別のもので、はんぺんを西日本に広めたのは練りもの屋の紀文です。すり身であるという点では同じなのですが、ヤマイモを入れることで独特のふんわり感を出しています。最初に口にしたのはまさに紀文のはんぺんでした。平天はすり身だけでできていますから、薩摩揚げなどと同類です。揚げかまぼこともよばれています。

 ちくわとちくわぶも似ている名前ながら別物です。ちくわはほぼ全国区でしょうが、ちくわぶは関東一円が主です。竹輪麩と漢字で書けば原料が見えてきます。魚のすり身ではなく小麦グルテンを利用して茹で上げたものです。生麩を扱う京都に源流があるのではないかという説もあります。グルテンとすり身の弾力は食べ比べるとよく分かります。

 対抗馬のない納豆はメーカーによって西日本へと流通し、かなり広まってきました。私が最初に口にしたのは35年くらい前のこと、栄養改善献立を試食したときのことです。納豆ご飯、納豆サラダ、納豆かき揚げなど未だに鮮明に覚えているのは独特の匂いが衝撃的だったのです。

 学生のころよく話題になったのは、東西の学生が語るうどんやソバの汁の違いでした。関西人にとって丼の底が見えない汁は、どれほど濃い味なのか躊躇するものがあるというのです。食べてみれば見かけの違いが分かるのですが、染みついた先入観は異なるものに対して警戒心を持ってしまうようです。

 関東、関西という狭い範囲での食文化ではなく、もはや人の動きと情報が全国津々浦々に行き渡るようになりました。地方色豊かな食文化に触れることで、飽くことのない食欲を満たす食の豊かさを日本は保有しています。

 

ハレの食べもの  20170213

 玄米の古代米ではなく少し搗いた古代米を白米に混ぜて炊飯すると全体が赤紫のご飯になります。古代米もうるち米も玄米状態で煮れば多分、赤紫になります。これがハレの日の食事に使われたという話だけを聞くのですが、根拠になる遺跡、遺物の話には辿り着いていません。

 20年も前のことですが、小豆を使った赤飯を孫がいやがっていたが、赤飯代わりに古代米を混ぜて食べさせると美味しいといって食べたのですっかり気に入ったという話です。私が作っていた古代米をまた分けてほしいと我が家まで取りに来ました。まさにハレの日の食事を再現していることになったという話です。

 ハレの日に対する日常のことはケといいます。ハレという非日常を祝う気持ちは行事食に込められていますから、食品業界の一部が意図的に定着させた行事食とは趣が違います。

 ということで、我が家は毎日、毎食赤飯でお祝いしています。様々な食材がたやすく手に入る今どき、ご馳走という感覚がずいぶん薄れたのではないかと思います。もてなすための食材を集めるために奔走したところから「ご馳走」という言葉が生まれています。しかし、何でも手に入りそうと思いきや、意外と手に入れることが難しい食材もそこそこあります。葉わさび、ノドグロ、トビウオや地鶏など季節限定のものと流通経路が一方通行のものは奔走して手に入れているのが事実です。

 直近の話、佐賀県唐津市の葉わさびがいつも行くスーパーに出ていたので買ってきていました。こんな時期に大丈夫かなと首をかしげました。でも、ネットで調べてみると30年も前から七山地区は葉わさび栽培に取り組んでいたのです。湯通し、刺激、醤油のキーワード通りの作り方もつけていました。ちょっと時季はずれながらハレの気分で辛味を味わっています。栽培状況を紹介している佐賀新聞の記事にある写真を見ますとどうやら畑ワサビの形態で植えられていました。



生野菜 < 煮野菜  20170212

 生野菜のサラダを控えめにしている献立には2つの大きな理由があります。40代のまだまだ元気なころ、串焼きの店で生キャベツはご自由にどうぞと言われ、シャキシャキ口直しも兼ねて美味しさに後押しされ、たくさん食べてしまいました。さすがに次の日はお腹の動きが尋常ではありませんでした。生野菜の食べ過ぎは大変なことになるという経験をしたのです。

 一つ目の理由は腸の動きが筋肉の衰えと連動して、生野菜の負荷を大きくします。火を通すことで壊される栄養素もありますが、消化の手助けをするためには煮野菜は腸の動きに負荷を大きくかけません。噛むことで消化のいい食べ物に変身します。その上食物繊維は崩れることなく役目を果たします。

 二つ目の理由は少し込み入った話になります。植物を育てたことがある人は窒素肥料とクロロフィル、葉緑素の関係に気付くと思います。肥料切れを起こすと葉の緑は薄くなり、黄色みを帯びてきます。速効性のある化学肥料を与えると数日で緑の濃い葉に変身します。化学肥料は硝酸態窒素そのものですから、時間のかかる化学変化を待たずに効き目が現れます。

 ところが、油粕や牛糞、鶏糞などはアンモニア態窒素ですから、植物は硝酸態窒素に変化しないと吸収しません。ゆっくり効き目が現れることで硝酸態窒素が過剰に葉に送られることがありません。

 化学肥料は過剰に散布すると硝酸態窒素が茎や葉に一時保管されてしまい、生で食べると胃の中で発がん物質のニトロアミンを生成することが分かっています。また、亜硝酸窒素がヘモグロビン中の鉄分と結合してしまい、酸素を離さないために酸欠になるという話もあります。

 煮野菜にすることで亜硝酸窒素はほとんで流れ出るということなので、理にかなった食べ方になります。葉もの野菜をゆがいてから食べるという調理方法は科学的な根拠があったのです。有機肥料を使って野菜づくりをすると2つの危険は回避できそうです。

 

農業生産物の旬  20170208
 
 米の旬はいつ頃かご存じでしょうか?8月の終わりごろから新米が出回りますから、大方は新米のころとお考えだと思います。実は、玄米の水分のアンバランスが落ち着いてくるころが一番美味しいときになります。因みに新米と表示できる期間は生産年の大晦日までというJAS法の縛りがあります。新米といって売れば高く売れるという事実に誤魔化しをさせないための決まりです。美味しさのことなど後回しというのが実態です。

 時間をかけて天日干しをしなくなり、30〜40℃の温風で籾を循環させながら乾燥すると乾燥ムラは避けられません。その上やや水分が多い米は締まりがない食感になります。同じ保存条件で同じところで取れた米をずっと食べているから分かることです。時期的には10〜11月が旬になるという結論です。

  野菜や果物も取れたてが新鮮で美味しいという評判が何の根拠も示されないまま一人歩きして信頼を勝ち取っているところがあります。旬というのは最盛期のことではありません。旨味が一番のるときが旬です。熟成している状態を見極めると美味しいところを食べられます。これは肉や魚にも言えることで、ものによってはとれたてが一番という場合もありますし、ねかせることで旬が先送りになるものもあります。

  時間がたつと鮮度が落ち、まずくなるという先入観もあると思います。金属だけでなく、ありとあらゆるものが錆びていくのです。そう、酸化という現象です。酸素を抜き取ったり、低温にしたりして酸化を遅らせ、長期保存を実現しているので食の豊かさを味わうことができます。米は12℃、ジャガイモは4℃、マグロは-60℃というように最適温度を見つけ出した研究成果が食を支えているのです。我が家の玄米保冷庫は12℃以下を維持しています。

  とれたて、できたて、新鮮という売り文句の裏にある本当の美味しさを科学して、聞こえのよい言葉に洗脳されないよう、ご自分の舌を究めてくださいますよう願っています。


体の微量元素と食の安全  20170205
 
 京都薬科大学、桜井の「体の中での金属元素のはたらき」を読んでいると主要元素は6種類あり、96%を占めるということです。次に多いものを寄せ集めると11種類あり、これで99.3%になるそうです。残り0.7%は12種類の微量元素で、生命維持と健康維持に欠かせないことが研究の結果明らかになっています。動植物が生存していく中で代謝を繰り返し、必要なものを土壌や海水、水を通じて取り込んでいます。

農薬をはじめとして様々な化学物質が自然界には存在しており、特定の人工的な化学物質だけを避けたいという願望はそう簡単に手に入れることができないのではないかと考えられます。有機農業、自然農法、無農薬栽培は農業生産物の付加価値を高め、安全性を担保しているかのような主張があります。政策的にもお墨付きを与えて保護しているわけです。

  しかし、ぬぐえないのが安全神話だと私は考えています。安全神話という点では、原発も同じ圏内にあるということです。漢方薬にしろ、化学的合成薬にしろ、農薬にしろ、長年の人体実験に支えられてきたことはだれも否定できないでしょう。

  太古の時代から食して試してきたから今の食文化があります。食えるものを受け継いできたのです。神経質になりすぎてストレスを貯め込めば元も子もありません。より安全なものを選択したいという願いをもちながら、多様なものを食すのが一番の幸せではないかというのが私の結論です。


塩分濃度とおいしさ  20170203
 
 白米は江戸時代、ごく一部の武士階層に定着していたというのが通説で、多くの庶民は玄米、雑穀を主食にしていたということです。白米を食べようとすると、単調な味に塩味の刺激を求め、塩分の多いおかずを食べるようになります。体内のナトリウムが増えると高血圧を維持する弊害が出てきます。あわせてビタミンBの摂取が減少することで、脚気を発症していきます。美味しい白米を食べているという優越感と裏返しに体はぼろぼろになっていくという食生活だったようです。

 このことは日本が侵略戦争に手を染め、近隣諸外国に兵を送り込んだときにも同様のことが起きています。白米とたくあんを主に食べ続け、脚気となっていた兵隊がたくさんいたのです。私の父親も長年ビタミンBの注射を続け、錠剤が出回るようになってからは常用していました。

 今でこそ好き嫌いが2分される味噌汁ですが、和食文化が主流の時代はご飯と味噌汁はバランスを取るための大切な献立になっていました。白米の味気なさを助ける塩味がシャキッとした味噌汁が主流で、過剰なナトリウム摂取は当たり前のことになっていました。

 醤油や味噌の塩分濃度は調理するときの味加減で決まります。減塩とうたった調味料に騙されることなく、美味しい塩味を引き出す調理法を知っておかなければなりません。

 和食の基本である出汁がすべてを決定的にします。美味しい味噌汁は味噌の前に相性のいい出汁が欠かせません。昔から煮干しだしを使ってきたのは、塩味控えめでも美味しい味噌汁にするための手順なのです。これが、カツオ出汁、昆布出汁、シイタケ出汁などを選択肢にして煮物、すまし汁などの美味しさに深く関わってきたことを受け継いでいきたいものです。

 薄味は、ナトリウム摂取を控え、素材本来の味を味わことができ、出汁とあわせることで旨味を最大限活かすことができます。見かけだけ整えたものと、それぞれの役割を考えて調理したものは別物です。




少量多品種栽培のよさ  20170131
 
 現状は以下の通りです。

<3月>ジャガイモ2種、コールラビ2種、ブロッコリー、キャベツ、ニンジン、ゴボウ、金時豆、アイスプランツ、バジル、インゲン

<4・5月>キュウリ、ナス2種、ピーマン、パプリカ、トマト4種、ズッキーニ2種、カボチャ2種、トウガン、ゴーヤ、ナタマメ、シカクマメ、マンガンジトウガラシ、アボシメロン、クリカボチャ、小玉スイカ2種、サニーレタス、スイスチャード、ホウレンソウ、カラミダイコン、サツマイモ2種、ラッカセイ、トウモロコシ、コンニャク、ツクネイモ、ユウガオ

<6月>黒豆、秘伝豆

<7月>タナバタマメ、トウモロコシ

<8月>ソバ、金時豆、ジャガイモ2種

<9月>ハクサイ、コールラビ2種、ブロッコリー、ニンジン、ゴボウ、ダイコン2種、カラミダイコン、カブ、ミズナ2種、チンゲンサイ、ホウレンソウ、ワサビナ、イチゴ、ニンニク2種、イチゴ、葉ゴボウ、ミツバ

<11月>ソラマメ2種、エンドウ2種、タマネギ

<通年>ホースラディッシュ、アーティチョーク、アスパラ、ネギ2種、ウド、ミント3種、シイタケ
フキ、オオバギボウシ、ミョウガ

<果樹>キウイフルーツ、カキ、ブルーベリー、ビックリグミ、イチジク、ウメ、サンショウ

 おおざっぱに数えておよそ70種類以上になります。選択肢を広げることで、好き嫌いがあっても他品種を口にすることが可能になってきます。店頭で買うと、見た目、好み、調理法の知識で意外と品目の幅が広がらない傾向があるはずです。自分で栽培することによって収穫の楽しみと味わう楽しみが生まれ、品目の幅が広がります。

 期待して栽培したものの、美味しい食べ方に結びつかず、一時の珍しさだけで終わったものもあります。アマランサス、モチキビ、ツルナ、モロヘイヤ、キクイモ、アビオス、ヤーコン、プッチーニ、黒千石豆などでした。

 Pungensでは畑で収穫できる野菜と貯蔵野菜、煮豆や漬け物などの加工品を組み合わせてメニューを構成しています。旬の野菜が味わえます。


無駄と思うものを食べるよさ  20170129

 コンニャクやゴボウ、キュウリ、トウガンなどは生命維持に直接貢献する栄養素がないに等しい食材です。しかし、ミネラルなどの微量成分や豊富な食物繊維は裏方で生命維持を助ける立役者になります。

 奈良時代のころから取り入れられた粉食文化の効率的なよさや今時市場を賑わしている必要な成分を圧縮したサプリメントなどに誘惑されて、安心感を持ってしまう方も多いと思います。しかしよくよく考え直してみると、まずいことに気付くのではないかと思うのです。無駄なものを食べていないとうんこの元はなかなか溜まりません。そう、便秘を引き起こし、腸内環境を悪化させたり、代謝機能が停滞することでストレスを感じたり、我が身にとってよからぬ状態になっていくのです。

 肉類のタンパク質や粉食の炭水化物は消化の過程でペースト状になっていきます。これらは腸壁で貴重な栄養素を吸収しやすくしていますが、無駄なものを食べずにいると腸壁にはこのペーストが滞留しやすくなります。食物繊維の多い食材を同時に食べることで、うんこの元を増やし腸壁を掃除しながら、微量の貴重な栄養素も吸収していくことができます。

 先人の教えである「野菜をたくさん食べなさい。」、「1日に30品目以上の食品を食べなさい。」などは、無駄なものが役に立っていることを伝えようとしています。単品では吸収されない栄養素が他の食材と組み合わせることで相互に作用しあうのです。

 美味しい単品をしっかり味わえるようにという甘やかしたメニューを考えることは商いに徹した手段ですから、実行するわけにはいきません。快適に生きながらえていくための食事を作ることが一番の目的だと考えてます。

  Pungensが品目の多いメニューを提供する意図には科学的な根拠があるということを紹介しました。食は文化と科学を極めていく分野になります。




農園キッチンPungens
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