52 初歩的な指導技術です。しかし、ベテランとよばれている先生であってもあやしいことがあります。子どもを動かしていく基本的なネタを集めてみました。

● 「名前をよばれた人は、はいと返事をして立ちなさい。」「○○くん。」「はい。」「××さん。」「・・・」「△△くん。」「・・・」前口上で約束をしておきながら、二人目からは返事がありません。ところが、返事を要求することなく三人目を呼んでしまっています。約束を指示しておいて、返事がないまま次に進むことは、約束の重要性を先生自らが無視したことになります。「××さん。」「・・・」「××さん。」「はい。」となるまで繰り返すか、返事が出るまで待つのがよい方法です。「返事がありません。」「返事をしなさい。」と直接的に要求するのは晒し者にしてしまいます。

● 一斉に演奏したり、音読したりするときなど。「そろっていませんから、もう一度やり直しです。」「まだずれていますからやり直しです。」挙げ句の果てには「そろうまで何度でもやりますからね。」「あぁ〜あっ。」これは時間のむだ以上にやる気をなくしてしまう押し付けです。先生はどこがそろっていないか、どの部分をどのように直したいか示して、それができたかどうかを確認、評価すべきです。「あと一回だけ通してやりますので、仕上げましょう。」と言っておきながら、「やっぱり声が小さいのでもう一度やり直しましょう。」こうなると、もううんざりしてやりたくなくなってしまいます。できていないことをはっきり伝えて子どもを動かすことが肝心です。

● 運動会の練習、全校集会などで、全体指導をしていない先生が自分の学級の後ろの方にいたり、列の途中で全体指導をしている先生の方を向いていたりします。補助的に指導に当たるときも、一斉指導に当たるときも基本は一つです。子どもたちの集団と対面して目と目が合わせられなければ、どの子ができていないとか、どの子が話を聞いていないとか把握ができません。掌握するための方法ですから、無意識に目につく子どものところに移動すると他の子どもは置き去りにされたも同然です。指導を必要とする子どもをつかみ、場を変えて個別に指導を加えることで効果はてきめん能率的になります。

● 黒板に向かって話す先生がいます「話す人の目を見て話は聞きましょう。」なんて約束をしていたら、大変なことになります。黒板に書く間も惜しんで説明をしたい気持ちはあるでしょうが、一つずつ片付けないといけません。きちんと板書をすませてから、子どもたちの目を見回して話します。先生がチョークで書いている間は、子どもたちは書いていることを目で追っているのですから、先生が話すことでどちらに集中したらよいか迷ってしまいます。先生の書き順、脱字、誤字をチェックしている子どもたちがいます。

● 「○○だと思います。」「○○だと思うんですね。」「AよりBのほうが大きいです。」「AよりBのほうが大きいんですね。」おうむ返しで子どもの発言を繰り返すことは、会話として成り立ちません。「はいよろしい。」「そうですね。」発言に対する相づちは、おうむ返しよりはましです。でも不十分です。「いいところに気がつきましたね。」「よく考えつきましたね。」何らかの形で発言をプラスの方向で評価することが子どものやる気を積み上げていきます。発言が少ない学級だとぼやく前に先生自身の応答を振り返ってみたいものです。

● 「先生、トイレ。」「先生、鍵。」・・・子どもと話していたら、意味は通じますが、見逃せない言葉です。言葉遣いには日常的に敏感になっていないとすぐに崩れてしまいます。信用と同じで、作るのは大変ですが、こわすのはあっという間にできてしまいます。「先生はトイレではありません。」と言い返す以上、きちんと言える子どもをほめ続け、省略言葉を言い直させ続けなければ効果は上がりません。

● 「連絡を書き終えたら、机の上を片付けて、帽子を忘れずに持って、廊下を走らないように運動場に出て遊んでよろしい。」一度にこれだけの指示をしてどれだけ伝わっているでしょうか。その都度約束事を確認しなくてもすむように生活の約束は積み上げておかないといけません。しつけができていないために小言が多くなる保護者と同じではいけません。「だから、いつも言っているでしょ。」ということになってしまいます。指示する内容は細切れになっても、一度に一指示が基本です。

● 「先生、Aちゃんが、何にもしてないのにたたいた。」先生が見ていないところでおきた出来事を不服に思う子どもは、先生に何とか懲らしめてもらおうと訴えてきます。さて、先生はどんな対応をしているでしょうか。出来事の大小にかかわらず、基本的には、いつ、どこで、だれと、何をしていて、なぜされたのかを客観的に把握することです。たいていは一方的な説明のためにつじつまが合わないことが多くなります。双方の話をつきあわせて判断すればすむことです。時間が経てば立つほど、曖昧となり、一人ずつ聞けばつきあわせに手間取ります。