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Date: Monday, July 29, 2002
name: 修正 さん
comment: はじめまして。私は、森林・林業のコンサルタント会社で、森林の総合利用の業務に携わっている岩村と申します。文部省の提唱した総合的な学習のページを検索していたところ、辿り着きメールしているところです。昨今の総合的な学習の中で、森林をフィールドにした学習が盛んに行われていると聴いておりますが、具体的には、どのような学習が行われているのでしょうか?一概に山や森林といっても、広さも違うし、地域性によって生えている樹木も違い、また、生徒の年齢別、体力別にも、学習の仕方、方法が違うと思います。特に、お伺いしたいのは、教材として、どのような森林があれば良いとお考えでしょうか?自然のままの森林、山は教材としてどこにも存在しますが、森林でなかったところに、環境教育のための森林をつくるという発想も最近では多く聴かれるところです。このたび、このような環境教育のための森林づくりという観点から、いろいろな情報を取り寄せているところです。どうか、アドバイスいただければ幸いに存じます。よろしくお願いします。
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> name: 修正様
 雑木中心の自然林と人工林で教材の視点は変わると思います。身近な雑木林は資源としての活用、環境保全の役割を探ることが可能な樹種があれば理想です。生産性が低い分現状は下草が茂り、入山しにくくなっていますから、資源としての価値観と動物や人間にとって山が有用だという価値観をみいだせるならば整備する意味はあると思います。何かを理解させるのではなく学び取る材料が豊富にあることがポイントです。
 人工林は採算性が見失われ手入れされないために環境保全の足をひっぱているのが現実です。30年生以上の良質のヒノキが育っていても伐採費用を差し引いたらただに近いところが多いのです。そうした人工林に興味と期待を持たせるのは難しいです。自治体の森林課が予算をつぎ込んで森づくりに参画させようと林業体験などを企画していますが、なかなか思うようにいきません。
 森と共生できる、森があれば生活は成り立つというモデルの開発があれば期待できます。林道を造りながら、森を大切にしようという施策は環境破壊の提案にしかなりません。キーワードは「循環型社会」と考えていますが、いかがでしょう。
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Date: Wednesday, September 25, 2002
name: なし さん
comment: 総合的な学習でいう課題と問題のちがいについて。使われている言葉の意味のずれがかなりあると思うのですが、いかがでしょうか。
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> name: なし様
ご指摘ありがとうございました。認識不足のところがあり、再度コラムを読み直し、文言の検討を加筆修正いたしました。
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Date: Saturday, September 28, 2002
name: 渡辺 さん
comment: はじめまして。「総合的な学習の時間」のテーマについて悩んでおります。こちらのHPを拝見した所、とても勉強になりましたが、「総合的な学習の時間」の解釈についてぜひご教示くださるようお願い致します。
私の子どもの中学校では、文化祭で伝統的に劇を行っています。一つのテーマのもとに、学級や学年全体で取り組む中で、良いものを生み出すための試行錯誤を繰り返し、友達との協力や自己表現を学びぶ機会でもあります。昨年度の中3学年劇についていえば、ヒロシマをテーマにした合唱付きの朗読劇という形式をとったことで、国語・音楽はもとより、教科を越えた学習が基盤となりながらも一つの芸術的な舞台に仕上がっていました。衣装や大道具制作では技術家庭や美術の力が発揮されましたし、もんぺなど当時の服装を調べるために、子供たちは昔の写真を調べ、戦時中の生活を調べていました。準備段階ではさまざまな葛藤を経験しながらも、生徒達が協力することの重要性を知り、大きな充実感を得たと聞きました。
 今年から行われる「総合的な学習の時間」は一人一人の興味関心に応じて学習するものと位置づけられていますが、その点でも、劇という形式はキャストとして舞台に立つ生徒の他に脚本・音響・大道具・衣装など様々な役割を果たすことにより、個性を伸ばしつつ能力を伸張させることができました。また、多くの観客の前で自己表現する機会を与えて頂いたことで教科の授業だけでは得られない、とても意義のあるものだと思いました。自己表現の力は21世紀に生きる子供たちに必要とされるものであり、「総合」によって伸ばしたいとされる「生きる力」の一つであると思います。
 文化祭を「総合的な学習の時間」と扱うためには、ふざけ半分の劇ではいけないだろうと思います。たとえば「友情の大切さ」「平和」などのテーマで行えば「総合的な学習の時間」になるのでしょうか。
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> name: 渡辺様
 テーマさえしっかりしていれば文化祭の劇は総合的な学習の時間に位置づけられると考えることは問題ないと思います。生徒が持った課題を自己実現する場としてすばらしいことです。問題はシナリオが制作される過程で一人一人の生徒が自分の課題に取り組んだ成果、あるいは思いが「漏れることなく」取り込まれるかどうかです。生徒全員が取り組んだ中のいいところだけを取り上げ、切り捨てるものがあれば、取り上げられなかった生徒の自己実現は劇の中では果たせないでしょう。劇に裏方も含めて全員が参加するのは役割分担上避けられないことです。たとえ裏方であっても自分の成果や思いが劇に登場することで、自分の代わりに登場人物が表現したことになります。要はテーマについて全員が自分の課題を持って取り組んだなら、シナリオも全員の思いを集約したものにできます。配慮するところはそこだけです。
 ただ、気になるのは劇は表現の一手段にすぎないということです。劇以外を望む生徒がいたらどうなるかなと思います。コミュニケーション能力を伸ばすために学級の全員が同じ方法をとることに自ら同意できれば大きな問題点は解消したといえます。
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name: 渡辺 さん
早速のご回答有難うございました。総合の時間の解釈は学校によってかなり捕らえ方が違っているようです。同じ地域の学校についても調べてみましたが、ポスターセッション(自分達の調べた事を屋台のように展示し、観覧に来た人に自ら説明をする)等を行うとのことでした。やはり、個人で課題を追求するという形をとることが多いようです。
 要はどのような手段で生徒の自主性をより育てていくかが問題かと思います。現在の総合的な学習(「環境」「国際理解」「福祉」「生き方」を柱のテーマとし、個人課題を見つけて、インターネットなどで個人的に調べて、個人で発表する発表会を開く)の方法でなくとも生徒の自主性は育つものと思います。取り組みの中で、自分の役割の中での課題を考え見つける。劇を作っていく中でその課題を解決するためにはどうしたらよいか考える時間を作る。そして実践してみる。発表会後、劇を作っていく過程で自分の課題がどのように解決できたか、また新たな疑問がでてきたかを考える時間を作る。友達が課題をどのように解決していったかをお互いにわかるようにする。・・・など、劇を作ることを手段として総合的な学習はできるのですね。
 大変参考になりました。子供達にとって、よりよい環境になるよう教育の場も変わってもらいたいと思います。