障害でいい
「障害を障がいと言い換えて何が変わるというのか。」
『何も変わらん。言葉遊びだ。』
「害に差し障りがあるというなら、言葉狩りをして誤魔化しているだけではないか。」
『全くの屁理屈だ。何が障害なのか分かっているのかいな。』
「そもそも障害があると判断する根拠は何か。」
『当事者本人が障害を感じるかどうかだけのことですよ。』
「当事者以外が障害の有無を考えるからややこしくなるのか。」
『障害を感じていない人が、障害を感じるのではないかなと推し量る難しさ。』
「段差が気にならない人でも段差が気になる人の思いを理解できるかもしれない…ぐらいの話。」
『必ずそうなれば何も困ることはない。』
「中には分からない人がいると。」
『だから、障害を障がいと言い換えて思いが至っていると勘違いしてしまうんですよ。』
「多くの場合、当事者が正当な発言を躊躇してしまいます。」
『おかしいと思っても、自分のせいではないという説得はたやすくないですよ。』
「言えるか言えないかだけだと。」
『自分に障害があると思いこまされている人にとっては言いにくいと思いますよ。』
「周りに障害あるのではなくて、自分自身に障害があるんだから仕方がないではないかと。」
『立場の理解が壁なんです。言葉が差別するのではなく、意志を持った人が差別するんです。』
『そうなると、自分ではどうにもならない。』
「差別の仕組みそのものですね。」
『言葉を言い換えても何ら解決の糸口にはならない理由がそこにあります。』
「めくらという言葉を使わないようにしても、目の不自由な人と理解している人がいれば、なんら相互理解は進まないでしょうね。」
『目が見えない人は、自ら不自由だと嘆くかどうかです。』
「そんなことより、困ることを一つずつ解決することをめざすでしょうね。」
『少数の考えも尊重される世の中、中身で対等に言葉がやりとりできる世の中になれば、困ることはなくならないまでも、減ることは間違いない。』
「言葉をいじるより、条件整備をしなさいということですね。」
『別の言葉を引き合いに出すとしたら、特殊という言葉に付随した価値観が分かりやすい。』
「よい意味にも悪い意味にも使われてきたと。」
『そうなんです。希少価値でもあり、排他的価値でもあるんです。』
「一人一人の考え方の中に都合のよい解釈が、相反する形でありますね。」
『そこを地ならししてきた先人の努力を踏みにじってはいけません。』