無責任
「コンニャクゼリーに責任はありますか?」
『ないでしょう。』
「のどに詰まる事故が十数年続いていますけど。」
『だから、コンニャクゼリーが危険だと断定できません。』
「買う人、食べ方の問題でしょうか?」
『コンニャクゼリーを食べて窒息死する人がいるという情報を元に危険を感じるなら、買わない、食べないという個人の自由な選択判断ができます。』
「危険なものを売っているというのは、単なる言いがかりですか?」
『根拠は納得しがたいです。のどによく詰まらせるものとして餅があります。PL法に抵触しないように危険表示が必要かどうかです。』
「のどに詰まるのはコンニャクゼリーや餅だけに限らないということですね。」
『食品そのものが危険なのではなく、飲み込める大きさにして食べているかどうかです。健康であるかどうかにかかわらず、口にする多くの食品が食べ方によっては詰まります。自ら責任を負わなければ,食べることはできません。』
「飲み込める大きさは、大人と子どもでは違いますよね。」
『高齢者も力が弱くなっているので用心しないといけません。個人差は大きいでしょう。』
「窒息死以外の心配もあるとか。」
『はい。むせて気管に入ってしまうと高齢者や抵抗力のない病人は肺炎になりやすいです。』
「行き着くところは、自ら気をつけよということですか。」
『そういうことです。』
「食品の安全に責任を持つということは、食品に食品以外のものが入らないというだけですね。」
『基本的にはそうです。ご飯に石ころが混じっていたから問題にするなどばかげています。』
「混じることはあり得ないと考えるより、混じることもあり得るだろうと。」
『機械の性能がよくなって皆無に近いですけど、自前であれば石を噛むこともときにはあります。』
「目に見える異物はまだ許せるとしても、事故米の食品としての流通は無責任極まりないですね。」
『精米すれば分からないという悪意に満ちています。』
「見ても分からない、口にしても分からない。だからこそ製造者が責任を持つわけでしょ。」
『当たり前のことをするだけなのです。欲に目が眩んではいけません。』
「自己責任という言葉が登場したあたりから、責任の所在がなすりあいになっているようですけど。」
『元々、責任は自分でとるものです。だから、責任転嫁という言い方があるんです。』
「安全が保障されなくなると自分で作る人が増えるのは、自然の成り行きですか?」
『PL法は安全を保障しません。万全を期していますが,使い方によってはこんな危険がありますので,注意してくださいという程度のものです。』
「それでも、現実には首をかしげるような理屈が続いていますから、当たり前の理屈が大手を振らないといけませんね。」
『責任を持つ人が増えていくなら、世の中、安全と信頼も増えていきます。』
「だます、ごまかす、自分さえ儲かればよい。・・・もはや無責任のかたまりですね。」
『社会人に求められる責任。法律や道徳でどうにかなるなら事件や事故はずいぶん少なくなるでしょう。』
「心が貧しすぎると。」
『裏を返せば、本当の豊かさはまだまだ遙か彼方ですな。』