叱る

『けんかが少ないと同様、叱る場面をほとんど見ることがないですね?』

「どんなときに叱るのか知らないんだよ。だから、叱る場面が見えていないと思うね。」

『家に帰ってから、子どもが外で遊ばなくなった、遊べなくなったのも大きな変化です。隣近所で会話することも少ないでしょう。』

「適度に人が込み合っていたのはもう40年も前のことです。今や子ども世代はまばらな時代です。叱るためには子どもたちが群がっていないとできない。そう、保育所、幼稚園、学校しか叱る場所がないと思うよ。」

『家では兄弟姉妹が少ないですから、しつけさえ順調なら叱ることなんてそうそう出てこないんでしょうね。』

「でもね、子連れで出かけているのに出会うと、こいつちょっと行儀してやろうかと思うことはあるね。」

『チャンスはあるわけだ。やっぱり叱る場面を知らないってことになりますね。』

「下手に赤の他人が口出しすると、何でうちの子をとっちめるんだと反対にやり返される恐れもあるんだよ。」

『叱って育てるという考えは博物館に入ったのかな。叱られるとはじと思ったり、悪いことと思ったりするから見逃してますね。』

「原点に返って、切り捨ててはいけない教育の方法だということを知らせたいね。」

『叱らなくなったから、子どもたちの問題行動があまりにも短絡的だという人がいます。昔のようにげんこつを入れて子どもたちの言うことをきかせればいいんだという人も結構います。体罰はだめだから、家庭の教育力を高めないといけないんだという人もいます。父親の威厳がなくなったからだめなんだという理屈まで出てしまいます。なんか、はぐらかされていますね。』

「同感です。屁理屈いう間には、どんなときにきちんと叱るかという生活様式の中での価値観をきっちり教える、それが家庭教育の教育的価値なんです。」

『大人の非常識が、子どもにそのまま伝わっているんですから、もう大人も子ども関係なしに再教育ですね。』