災害報道

「災害が起きたときに本当に知りたいことが知らされていないと思いませんか?」

『何を知りたいかということより、被害状況と対策のための情報が先行しますね。』

「死傷者が何人か、壊れた家が何棟あるか、崩落が何か所あるか、電気・ガス・水道が止まっている世帯がいくらあるか。単なる行政統計情報なんです。」

『何かあったとき、一番知りたいのは安否なんですね。』

「自分に関係する人が無事なのかどうかだけ知りたくて、電話が集中する時代です。」

『次に知りたいのは、どこにいるかですね。』

「自宅にいるのか、避難所にいるのか、行方不明なのか。それが分かれば自分の行動が決まるわけです。」

『それから、支援が必要なとき現地にどういう方法で行くことができるかですね。』

「これらは、被災地以外にいる被災地とつながる人がめぐらす考えです。」

『被災地の人は別の情報が欲しいはずですね。』

「避難すべきかどうか、ライフラインの復旧はいつか、生活資材の確保はどうすればいいか、移動ができるのかどうかなどは気になるところです。」

『被災者の立場、被災者の関係者の立場、行政の立場、支援組織の立場以外に大多数は野次馬になってしまうんですね。』

「行政の立場に偏った情報は得やすいですし、野次馬にとって気になるところが一致するようです。」

『死傷者が○○人、被害家屋○○棟、道路と鉄道が崩落で寸断・・・といわれても、大多数の野次馬にとってはたいへんなことが起きたと思うだけですね。』

「現地取材が始まると、被災者の立場に立って不足物資の情報が報道されることもあります。すると有り余るほど不足物資が集中することもあるわけです。」

『取材スタッフは限られていますから、各社の情報を集約することで、被災地への思いが至るはずなのに連携が図られることはまずありません。キー局の関係で取材情報が収集されることは普通にできているのに、他社とは取材合戦におちいっているようですね。』

「集めた情報から全体を見渡して、どの立場の人たちにどの情報を伝えたらよいかという素早い動きがもとめられます。」

『ところが、被災地に伝えたいことがあっても電気が復旧していなければ、テレビは有効に働きません。その点、電池で使えるラジオの方が伝えやすい手段になりますね。』

「テレビは、被災者が見ていないことが多いために不都合を指摘されにくいともいえるでしょう。」

『例えば、被災地で入浴サービスを提供していたのに知らなかった人が大勢いたなんてのを堂々と報道する鈍感な実態があるんですね。』

「地元のFM局は情報提供をしていたのですから、だれが見ているか意識しているとテレビ局の対応も違うでしょうに。」

『報道よりもネットワークで動く支援ボランティアは小回りのきく情報収集と適材適所に人を派遣する連携が進んでいるようですね。』

「被災者の必要感を収集しなければ、支援ができないわけですから、情報が有効に使われていますよ。」

『知りたい人と連携がとれるような報道になればいいのですが、野次馬に迎合するような興味本位の報道は、他人の不幸を傍観して優越感にひたる心配がありますね。』

「事件、事故でも同じようなことが起きますよ。」

『捜査に必要な情報を求めたい場合は、報道機関も一役買うことができそうなのにと思うときがあります。未解決事件の特別番組で呼びかけを見ることがあっただけですね。』

「海外での災害、事件、事故の報道で、日本人の被害者はいないという言葉に違和感があるという意見が話題になったこともありました。」

『相変わらずの面もありますが、何が必要な情報かを見極めようという姿勢は見られるようになりましたね。』

「被害の当事者になると、冷淡な記者の言葉に怒りを感じたことがある方もいるのではないでしょうか。最悪の傍観者を演じていますよ。」

『悲しい思い、途方にくれている状況の中で「今、どんなお気持ちですか?」と問いかけることは酷ですね。』

「知りたいことと知らせたいことに思いが至らないと、傍観者は同情さえ感じなくなってしまいますよ。」

『要は客観的な立場での報道が必要なんです。東京も地方なのに、東京以外が地方と受け止めている錯誤と同じことですね。』