いじめ

「いじめで命を落とすなんて!」

『弱いところに集中するから、言葉だけでも命取りになるんです。』

「どうして気付かないの?」

『ひそかにするからいじめなんです。』

「やられたらやり返せばいいのに!」

『それができないくらいひそかなんです。』

「見て見ぬふりしてる人も変!」

『何もしないことがいじめる方の味方になるから、ますますやりやすくなるんです。』

「ちくったら後が怖いと思っているかも?」

『自分のことだけを考えて、何もしていないことでいじめに協力しているんです。』

「どうして他の人に言わないの?」

『仕返しができるぐらいの人なら話せるでしょうけど、話さないと分かってやるんですから巧妙でしょう。』

「意地悪とか、からかうとかよくあるのに!」

『一時の対立ではよくあることです。でも、いじめには執拗さ、陰湿さが伴うんです。』

「言いかえさない子はねらわれやすいの?」

『よってたかって繰り返しても反撃されなければやりやすいでしょう。』

「力の弱い子もねらわれやすいの?」

『からかってみて、ぶん殴られたら二度とやらないですよ。』

「先生が気付かないのは変!」

『弱い子、できない子をばかにするような先生は絶対気付かないんですよ。』

「それって差別じゃないの?」

『差別の仕組みの不合理なところを分かっていない先生にかかるといじめ方を伝授するようなもんです。』

「どうしていじめるの?」

『不満のはけ口ってのもあるでしょう。おもしろ半分ってのもあるでしょう。従わせたり、下に見たりすることで優越感に浸ったりできます。』

「相手の痛みは考えないの?」

『自分中心に考えれば、相手はどうなっていてもかまわんのです。差別そのものですから。』

「なくせないの?」

『なくせますよ。見て見ぬふりはしない、おかしいと気付いたら信頼できる人に話す、相手の痛みが分かる人間になる、本音が話せる人間関係を作る、いじめや差別の仕組みを学ぶ、いじめとからかいの違いを知る、執拗な嫌がらせは死に至ることもあることを知る、などなど取り組むことはたくさんあります。いじめは許さない、いじめはなくせるという明確な信念が浸透するまでやるしかないな。』

「いじめかいじめでないかはだれが決めるの?」

『いじめられた人が決めることです。ただし、いじめなのか、からかいなのかは事実からしか判断できません。』

「後になってからいじめがあったと公表するのはどうして?」

『事実をつかんでないから、いじめはないという間違った判断が出るんですね。先生にも、親にもいえない状況では、当事者と周囲の傍観者の情報しかなく、いじめがあっても把握してないだけのことです。』

「いじめがない学校や職場、地域は一人ひとりが大切にされるはず?」

『そうなんです。人間関係がとってもいいんですね。』

「いじめが把握できない学校や職場、地域はどうすればいいの?」

『いじめを明らかにすれば解消に向けて取り組む人がいるという信頼関係を築くしかないです。おかしいことがおかしいといえる人の集まりです。』

「そんなの待っていられない状況もあるのでは?」

『近いところから、責任ある人に手紙を書いて知らせるのも一つの方法です。責任ある人でも握りつぶす人はいますから、信頼できるだろう、受け止めるだろうという人に託します。ただし、いたずらはいけません。我が身に災難が舞い込みます。』

「それこそおそれおおいと思うのでは?」

『命をかけるなら、命の重みが分かる人を選んでほしい。仕返しを恐がり、味方がいないと思いこむ前に直訴という方法を実行して欲しい。』

「どうして一番身近な家族にいえないの?」

『両親、友達、先生は身近な存在とはいえ、受け止め方に不安があるかないか、うすうす分かる相手なんです。サインを出してみて、深刻に受け止めてないなと試すことはしているんです。』

「競争社会とか、格差が大きくなる社会がいじめの原因なの?」

『価値観に柔軟性がない社会では、いがみ合うことが多くなるきっかけにはなります。人が2人以上集まり、相手より優位に立ちたいと思うとき、いじめを利用することが間違っているんです。』

「考え方を変えないといじめはなくならない!」

『しょうがないと考えてしまう世の中では、何も変わりません。子どもたちに諦めてはいけないといっておきながら、いじめられやすいところがあるんだから、しょうがないと思っている先生は勉強しなおした方がいいです。』