名称

「すぐに理解できないカタカナ語の氾濫は相変わらずですが、名称の変更でも首をかしげてしまいますね。認知症???」

『病名の命名は一定の流れがありました。学会や世論の中で違和感が持たれ出すと行政が手をつけますよね。』

「例えば、不当な合法的隔離と差別のばらまきによって今なお苦渋を強いられているハンセン病は歴史が物語っています。」

『元もとらい病。やがてハンセン氏病。敬称を一律にはずしてハンセン病。病名が変わったからといって、差別意識が払拭されるわけではありませんが、負の価値観を変えるきっかけにはなるでしょうか。』

「でもね、痴呆症を認知症に変えるのは違和感を感じますね。センスもないし、なるほどという納得も持てない言葉だと思いませんか?」

『これまた、精神科医療の隔離政策と負の社会意識をばらまくことに疑問を感じなかった関係者が多くいたことを物語っていますね。』

「統合失調症に変わってから日が浅いです。病名を検討するきっかけはあったわけですから、もうちょっとまじめに考えて欲しいです。」

『精神薄弱という名称も知的障害に落ち着きましたが、いずれにしても人権意識や平等意識にもとづいた名称の付け方ではなかったですから当然といえば当然ですね。』

「認知症が不適切ということは、筑波大学の太田信夫先生も指摘されていました。そもそも、認知という大脳の機能は説明できても、症状にはならないですよ。」

『完璧に無理があります。認知が正常でないという意味あいを持たせる言葉なら、症状になるでしょうが、認知症ではね。』

「しかるに認知失調症ということになりますか。」

『言葉が差別をもたらすのではないことはさっき言いましたが、だいたい差別的な名称に負の価値観を背負わせるようになったのは、名称を検討した人々に差別意識があったからなんです。』

「アルツハイマー病が認知されたのはそんな昔じゃないですよね。」

『そう。古いか新しいかも問題にはなりません。あほ、ばか、痴呆・・・蔑んでいることは否定できませんからね。』

「教育現場の中でいまだに改訂されない言葉があります。ご存じでしょうか。特殊学級という名称です。普通学級に対する、障害児学級の呼称として長年使われてきました。」

『障害児学級というのもまた、おかしな言葉ですよ。それでいてなかなか変わらない。』

「確かに。心身ともに健康な人が考えるとそれが当たり前になってしまう。」

『関わりのある人がきちんと参加できる状況で名称は検討されるのが一番ですね。有識者、権威ある人、学者、専門家と呼ばれる人たちだけに任せるのはよくない方法です。』