肩書

「肩書を聞いたとたんに態度が変わる人っていますよね。」

『いますね。電話で名前だけ名乗って話を進めてもらちがあかないとき、肩書を名乗ると急に馬鹿丁寧になったり、平身低頭な口調になったりする人がいますよ。』

「なんか変ですよね。中身より、包み紙を大事にしているようで・・・。」

『世間では肯定的な評価が多いだろうという先入観におちいっているからでしょうね。ほら、みんな○○ですよと、言われるとその気になってしまう考え方です。』

「上位の肩書だと多くの部下が従っているはずだから、立派な人柄に違いないと思いこむんですね。必ずしもそうではないのが、現実。人の上に立つ肩書であっても自分勝手だったり、差別的であったり、あくどい人だったり。」

『肩書が上位、権威のある人が人間的にも立派であるとは限らないと認識していれば、対等に渡り合えるはずです。』

「有名人、著名人の類も似たようなところがありますね。」

『だと思いますよ。だから、世間一般の人々の先入観を逆手にとって利用する輩もいるわけです。』

「渡す名刺を持たない私でも、仕事柄、いろんな名刺に出会います。それこそ、肩書好きの名刺は裏に至るまで本業とは関係のない私的なものまでぎっしり。名前と組織名だけ、あるいは名前だけの名刺に出会うことは本当にまれです。」

『どうしてこんなことになるんでしょうね。』

「身分や階級で、社会あるいは、組織を統制したり、支配したりしてきたことによると思いますよ。服従関係が崩れたとき、反乱ですから。シンボリズムは支配に都合のいい材料なんですね。」

『そう。神格化された人でもいい。マークでもいい。肩書でもいい。階級章でもいい。』

「そういえば、車のロゴなんか、肩書好きの日本人の特徴がよく出ていますね。」

『でかでかとローマ字で社名のロゴがあるのは日本車ですよね。まるで、走る広告塔みたい。ヨーロッパやアメ車はエンブレムだけ。』

「自分で金払って、購入先の会社を宣伝するなんて割に合わないです。」

『そうした胡散臭い関係を断ち切って、肩書も権威もいらない生き方をしてきた人は人間味があふれていると思います。車のロゴをみんな外して得意満面の若者がたまにいますが、なかなか粋な自己主張ですよ。』