診断

「病院では治療のために診断することが普通に行われていますが、医療現場以外での診断というのは怪しいものがあると思いませんか?」

『治療とか、積極的な対策がない診断というのはどこの世界でも怪しいんじゃないの。』

「不治の病です、といわれて、なすすべもなく入院せざるを得ないのは辛いです。ガンなんかは、対症療法が進んできましたから、少しは意義があるでしょうけど、診断されないまま生きるのも自分の意思としては納得できそうですね。」

『経済界の経営診断というのは、怪しさという点で、ずば抜けているでしょう。』

「評価が絶対的でないから怖いです。経営者に対する診断、投資家に対する診断、消費者に対する診断、それぞれが微妙に違うんですね。倒産間際だと噂のほうが当たっていたりする。」

『経営診断の結果に一番疎いのは、末端の第一線で働く従業員なんですね。まさかうちの会社が倒産だなんて・・・。よくあるコメントです。経営者が判断を誤ったときに一瞬にして崩壊しますから、人の判断を診断しなくちゃいけない。だから怪しんです。』

「人の判断を診断するという点では教育現場での診断も困ったものです。」

『病気とか、けがとかは医師にゆだねればいいですが、心の面は診断すべきかどうか怪しいです。』

「いわゆる情緒障害、学習不振に対する診断は逃げ道にされるおそれが多分にありますよ。」

『病気だから仕方ないんだ、打つ手がなく手探りなんだ、ということは何も効果のあることはできていないですから、裏を返せば何もしなくてもいいことになる。こういうのが蔓延すると怪しさを通り越して、疎外を助長します。』

「診断しなかった方がよかったと・・・。」

『そうなんです。ありのままに状況を受け入れて、何ができるかを模索する方がよっぽど本人にとってもよいはずです。この子は自閉症ですと診断されて一般的な対応マニュアルを実行するより、この子は何に興味を持つだろうかという働きかけのほうがずっと意味があります。』

「それなら、診断など意味ない・・・。」

『個性を伸ばしてという看板を掲げながら、情緒障害を規定していくことは、偏見というレッテル貼りに加担することにもなると思いますが、いかがなものでしょう。』

「個性に病名の診断をつけることにもなりかねませんよね。」

『でしょっ。過去の忌まわしき魔女狩りみたいなもんです。人権を尊重した本来の考えを土台にして、現実的な対応ができる診断を教育現場ではしていただきたいです。』