学力

「ちまたの学力低下の論議と学校の中での学力観がかみ合っていないのはどうしてでしょうね。」

『学習内容が減ると学力が落ちると世間では騒いでいますが、学力のとらえ方がせますぎるんですよ。』

「単純に受験のための学力だと。」

『すべての人がとは言えませんが、子を持つ親の意識はかなりの割合でそうだと思います。』

「受験に勝ち残ることが幸せな生き方になると信じて疑わないなら、そうなんでしょうね。」

『どこの大学に進むかということと幸せな生き方に相関関係はないですよ。だって、A大学の出身者はみな幸せで社会的に立派になっているとは限らないでしょ!』

「でも、社会的地位を求めてそれをめざす人もいるじゃないですか。」

『もともと賢い人とか、学ぶことに熱意のある人が本当は成功しているのにね。』

「学力をあいまいにとらえて、はかない夢を追いかけるのもばかげていますよ。」

『そういうときだからこそ、人間にとって基本的な学力をはっきりさせないといけないと思うよ。』

「学生の学力も落ちているという話はどうなんでしょう。」

『教養基礎がおろそかになったとか、受験のために履修していない教科があるといったところが問題にされていますが、そもそも勉強の中身をはき違えているからいけない。受験のための勉強に凝り固まっているんじゃないの。』

「受験のシステムをかえたら、学力観も簡単に変わりそうな気がしてくるんですが。」

『教育機関の受け皿や関連産業の攻防がネックになりそうですよ。』

「緩やかな改革でいくってのはどうです。定員を2、3割増やして進級を厳しくふるい落としていくんです。」

『そうなると先生の意識改革が必要になってくるんですね。』

「進級にあたいする学力があるかどうかを判定しないといけなくなるわけだ。」

『ねっ。一筋縄でいかないから、なかなか進まないんです。』

「学校で勉強したことだけが学力だととらえるからおかしいとも考えられますね。勉強の仕方が分かっていれば、学校以外で学ぶことは多くなると思うのはあまいのかな。」

『そうなんです。学力は唯一先生から与えられることによって身につくものではないでしょ。』

「ヒントを与えられたり、刺激を与えられたりして、自らが学んで、理解していることが学力になっていると思いますよ。」

『学力が与えられることで片づくのなら、みんな賢い人ばっかりになるはずですよね。それがどうでしょう、現実には様々な学力の持ち主がいます。』

「確かに。高いとか低いとかいう風評、これがまた、根拠のない風評で、完全に振り回されているんですね。」

『疑問を解決したり、知らない知識を獲得したり、興味のあることを追求したりする力があればたくましく生きていけると思うんだけどな。』

「もう一つ注目したいのは、学校に行っていない子どもたちが特別な人生を歩んでいない事実も大きいですね。」

『学校がすべてであるというのは、幻想にすぎないことを自ら証明しているいい例ではないでしょうか。』