言い訳

「ちまただけじゃないんですね。「私だけではない。みんなやっているではないか。」っていう言い訳が飛び交っています。」

『スピード違反取り締まりのねずみ取りで捕まったら、つい口から出てくる言い訳が・・・。』

「私だけではない。みんなやっているではないか。」

『廊下を走ってしまい呼び止められて注意を受けたら、返ってくる言葉の中に・・・。』

「私だけではない。みんなやっているではないか。」

『車の窓からゴミをぽい・・・。』

「私だけではない。みんなやっているではないか。」

『相応の所得があるのに脱税を摘発されたら・・・。』

「私だけではない。みんなやっているではないか。」

『ルーズソックスが流行ったころ、どうしてそれがかっこいいの???。』

「私だけではない。みんなやっているではないか。」

『一時停止不履行を検問中の警官に見つかり、問いつめられたら・・・。』

「私だけではない。みんなやっているではないか。」

『どうして公共の場で携帯電話のスイッチを切る勇気がないのかなぁ・・・。』

「私だけではない。みんなやっているではないか。」

『不正流用、裏金づくりが何で当たり前のようにできるんでしょうね・・・。』

「私だけではない。みんなやっているではないか。」

『この手の話題はえんえんと続きそうで、なくならないのが不思議です。根本的なところで培われた意識なんでしょうね。』

「米作農耕を主にした生活を送っていると目印になるものがいるんです。天体の動きとか、季節感を示す植物とか、人の動きとか何か決め手になるものを見いだしてきた先人の知恵が働いているんですが、思わぬところに落とし穴があるようです。」

『日本の場合せまい土地の中で、隣近所の動きを見て、同じように取りかかれば無難にことが運んだわけです。』

「自分勝手なことをすると農耕が成り立たないという暗黙の「しばり」があるわけですね。」

『「みんなやっている」と判断すると、ことが丸くおさまり、お互いのためにはよかったのです。』

「悪事を働いたときの言い訳にまで使いだしたところから、横並びの弊害が出ていますね。」

『怖いものを感じなくなったときはすでに土壺にはまってる、後の祭りでございます。』