終末期医療

「いつもどおり夕食を食べ,寝床に入って快眠。翌朝目を覚ますことなく永眠。現実に起こることは希ながら,こういう終末に願望を持つ人は多いでしょうか?」

『中には,一声かけて永遠の眠りにつきたい人もいるでしょうね。言ってみるだけで希望して選ぶことはできません。』

「都合よくいかないのが人生の最初と最後。病気の場合はどんなことが考えられますか?」

『治療方針がはっきりしているものは考える余地は少ないでしょうけど,癌のように不治の病は選択肢が増えます。』

「言われるがままに除去手術,薬物療法,放射線療法のコースに入る以外にどんなコースがありますか?」

『成り行き任せで積極的な治療をしない人もいます。痛みだけ緩和する方法を選ぶ人もいます。』

「病気は複合しやすいだけに併発したらさらにややこしくなりますか?」

『治療と延命のどちらを選ぶかで判断はしやすくなるでしょうし,本人に意思確認ができるときは意思を尊重したいですね。』

「事故でも合併症は起きやすいでしょうから,本人にとっての幸福感が一番でしょうか?」

『意識不明のときの安楽死が批判の的になりますが,生きていたいという願望は計り知れないことだと思います。本人の意思にかかわらずお金に絡んで延命という話も出ますからね。』

「常々疑問なのが死亡診断書の死因を見るとこれでいいのかなと思うことがあります。大丈夫ですか?」

『刑事事件などの法的な影響を受けないときは安易でしょうね。誤嚥窒息死も誤嚥性肺炎による心不全も直接の死因は誤嚥ですから,病死ではなく事故死ですね。死因統計は曖昧さを残したままでしょう。』

「加齢とともに衰えていく場合は判断が難しいでしょうか?」

『病気ではないのに食べるのが困難になっていくのは自然の流れ。徐々に衰弱して末期を迎えます。ところが,食べるのが困難になったときに選択肢が広がりますね。』

「延命の選択肢ですね。」

『成り行き任せ,経鼻管補給,胃瘻,輸液をどう使い分けるか。あわせて本人の意思が絡んできます。周囲の都合ではなく,本人の願望を尊重する判断ができるかどうかが鍵です。』

「たぶん良かれと思って生かし続けることの医療は医療といえるかどうかというあたりでしょうか?」

『主体は本人にあるという前提で,判断する意思が見られなくなったときに成り行き任せをとおせたらいいと思うんです。』

「見捨てるか見守るかの違いですね。」

『人はみな必ず死に至る。』

「半世紀前,祖母の死を家族で見届ける記憶は子どもであったのに鮮明に覚えていますね。」

『やれ救急車だ,医者を早く呼べと騒ぎ立てることなく,これが人の最後なんだとだれもが死を見届ける対応は普通のことだったはずです。』

「若ければ余命が長く,老いた者の余命は短いという物差しで全て決めるわけにはいかないでしょう?」

『生きたいという意思と見込みがないという判断が優先しそうです。』

「生かしておく医療は医療というより技術のような気がします。」

『末期を迎えて意思決定を代行できるのはだれかということになるでしょう。』