幸福感と平和ぼけ

「あなたは今幸せですかと問われたらいかがですか?」

『幸せには違いない。しかしが必ずつきまといますね。』

「なるほど。満足感はあるが,不安もあるということですか?」

『充実したくらしをしているとこれがいつまで続くのだろうかと思うことがあるんですね。』

「幸せが続かないという不安材料はどんなことでしょうか?」

『日本はあらゆる場面で安全保障がないんです。今おこらないからこの先も大丈夫だろうという神話が暗黙の了解みたいになっているんですね。』

「安全保障というと侵略あるいは戦争ですか?」

『それもありますが,危機的な事態に国家が安全を保障できるのかという疑問ですね。』

「国民を守るはずの国家が国民を見捨てることになりますか?」

『見捨てるというより,事態に対応できないという初歩的なつまずきが見え隠れしていますね。』

「大震災にしても,原発事故にしても,国境事件にしてもしかりと。どうしてなんでしょうか?」

『平和ぼけして危機感が理解できていないと思いますね。』

「仕組みがあっても人がついていかないということですか?」

『いや,仕組みも怪しそうですね。かつての反省に立っているとはいえ,国外に向かっていうことと内向きにいうことは使い分けないと足元をすくわれますよ。独立国家としての威厳が必要なんですね。』

「安全を保障するという基本は原発事故でも揺らいでいますが,なにが抜け落ちているんでしょうか?」

『まずもって,戦争と同じで失われた痛みを感じる感性が鈍いですね。一人の人間としてではなく,国家としての感性が聞こえてこないですね。』

「結果的に幸せを求める方向に動かず,不安を振り払うことに追われるということですか?」

『政府の都合とか,会社の都合とかが前に出て,安全保障という基本は後回しですね。』

「現場を見ないでことが進むのは旧態依然ということですか?」

『あわせて歴史も必要ですね。幸せを求めてきた歴史は日本中どこに行ってもありますからね。』

「一般的な支配者の歴史観では見誤りますか?」

『間違いなく。沖縄が困り果てているのは当事者が一番よく知っているんですね。だってね,海兵隊はアメリカ人でさえNIMBY(Not in my back yard.)と言ってのけるんですよ。』

「天変地異の歴史が一番貧弱でしょうか?」

『災害の歴史は現在を考える基礎になるんですが,史料が少ないだけに困難ですね。文字がなかったころは痕跡に頼るしかないですから。』

「災害で想定外というのは災害を舐めていませんか?」

『言葉として矛盾してますね。想定できる災害なら全て防げます。100年に1度の洪水を想定して堤防を作りましたといわれても安心しちゃいけませんよ。前代未聞の洪水だってあるわけですから。』

「空襲の焼け野原も津波の後も惨状は同じ。海抜5m以下の海沿いは幸せのリスクを考えたほうがいいですか?」

『もともと海だったところですからね。地名で浦とか津とかつけば関心を持って欲しいですね。』

「なるほど。こうして考えをめぐらしてみると幸せですかの答えは被災者と非被災者で随分違うでしょうか?」

『欲望の順位は置かれている状況によって変わるでしょうね。生き残っただけで幸せだと感じる人と大切な物を失って愕然とする人では次に踏み出す一歩が違うと思いますよ。』

「なにを失うかで幸せの基準はリセットされるかな?」

『人間は一生のうちになにかを失いますからね。平和ぼけで鈍感になると一番遠くにある安全保障が気づきにくいでしょう。』

「幸せを考えるとき豊かさが引き合いに出されますが,豊かであることが幸せと同じことなんですか?」

『心が豊か,食べるものが豊か,お金が豊か…。豊富にあれば幸せというならば,貧しさが不幸せということになります。幅の広い価値観だけに辻褄の合わない指標にする人はいるでしょうね。』

「ということは幸せを語るとき欠かせないのはなんでしょうか?」

『おおきく出れば世界観ですね。広い視野に立って見る目を養うことから始まるでしょうね。』

「現状は幸せの質がいびつということでしょうか?」

『でしょうね。個人が求める幸せと世間がもとめる幸せが乖離していますね。一丸になっていないから,平和ぼけというか平穏ぼけというほうがいいかもね。』