新世紀

「やれ千年紀だ、やれ新世紀だと馬鹿騒ぎしているけど、世の中何か変わるとでもいうの?」

『千年の節目とか、百年の始まりとか、気分的にさあこれから新しい年を迎えるんだという気分になるじゃないですか。』

「そりゃ、カレンダーの数字が変わるだけで、外に何も変わることはないよね。」

『気分だけでお祭り騒ぎしているから淋しいものを感じるわけか。』

「始まりを大事にして何かいいことを期待して祝うのか、最後を冷静に見つめて結果を祝うのかどっちのタイプだろうね。」

『神頼みすることが多いのはいかにも日本的な考えのような気がするんですが。』

「いちかばちか、幸運がめぐってきますようにと祈願するのは人間の入る余地が少ない生活をしてきたんだと思うよ。特に定住農耕民族は。」

『じゃあ、騎馬民族は努力の結果を祝うのが多いとでもいうわけ?』

「あたり。こんなに努力した結果が今ここにあるんだよ、さあお祝いしなくっちゃてことになりそうだぜ。」

『でもね、誕生日とか結婚何年目とかになると同じようにやってるじゃないですか。』

「生きてきた証としてそれはそれで結果主義ですよ。何周年という意味のないお祭りは日本人の考えそうなところじゃないの?」

『価値が見いだせないところにも伝統という無形の価値をでっち上げるなんてのは確かに得意ですね。』

「新年を迎えることはそりゃめでたいに違いない。昨日までの過去を生き抜いたからめでたいんですよ。」

『テレビの馬鹿騒ぎにつかっていると、これからを考えるのじゃなくて、過去を振り返る方が多いのもうなずけます。』

「先のことは分からないから議論百出、延々としゃべればいいのにやりたがらないね。」

『展望とか夢とか、実現に向けての設計図がかけない人だらけになりつつあるのは淋しいね。』