机上の総合的な学習
 テーマの選択は自由。どんな方法でもよい。調べたことや自分のコメントを必ず入れてレポートを提出すればよい。・・・というような机上だけでことがすんでしまう総合的な学習を展開している実態がないことを願っています。
 レポート形式の学習方法は、これまでに大学教育でよく使われてきた手法です。問題解決的な学習の流れを表現するうえで、一見理にかなっているような方法に見えますが、大きな落とし穴があります。一番の心配は、事実をもとに実証することがおろそかになることです。さらに、他人が表明した考えや意見を安直に横取りして使うことも心配されます。
 例えば、指導要領で話題になっている円周率や台形の面積を学習する場合を考えてみましょう。πが3か3.14かというレベルで学力が落ちるか落ちないかを論議する無謀さ、短絡的な考えには同意できません。ただ、机上の理屈でいうと3より3.14のほうがより正確だというだけのことです。本来円周率の学習は、身近にある円の直径と円周を測定して、実体験の過程を経て3ではなく3.1・・・になることを導き出すわけです。無限であるという問題は積分解析のレベルであって、小学校では単なる知的話題にすぎません。要は、πは3.1・・・となって3ではないのだという実体験に基づいた理解が中心となります。机上のレポート学習ではこのことが欠落すると考えられます。
 台形の面積も公式を導き出すための図形の移動、合成の考え方が重要だと主張されていますが、小学校段階では操作的に求積することが基本になります。三角形であろうと四角形であろうと、すべて長方形に合成し直すことができなければ求積できません。その過程の中で、すべての多角形は三角形に分解して求積することが合理的だということになります。つまり、レポート学習に陥ると、それぞれの多角形に応じた求積公式が合理的な知識になってしまいます。ところが操作的に実体験から図形を切り刻んで求積すると、すべて長方形に帰することを学びます。面積の概念はどちらから形成されるかを教育のプロは考え実行しているはずです。公式は大事だから覚えておくようにというのは素人か学習塾の先生のいうことです。
 理科の世界でもレポート学習の落とし穴に落ちる話題は多いと思います。「水は水素と酸素からできている。」「燃焼させると二酸化炭素ができる。」など事例はいくらでもでてきそうです。
 実体験、追体験などの過程を経ないで断片的な知識のパッチワークをよしとしていると、もっとも安易な方法が現在は用意されています。インターネットのサイト上には膨大な知的著作物が検索できます。レポート学習には大変便利な素材ですが、著作権以前の問題も多くあります。根拠がはっきりしないもの、正しくないことを述べているもの、諸説あるのに唯一と思わせるものなど様々です。植物を調べていても明らかな間違いを説明していることに出くわします。総合的に知識を統合して著作されたものばかりではないということを認識しないといけません。子どもたちがどのような過程を経て、目の前のレポートが作られたかを先生自身が常にチェックしていれば冒頭の心配は必要ないと思います。