総合的な学習での主導権
 学習の主体者は子どもたちで間違いないのですが、学習の流れの中では先生が常に主導権を持つことが大切だと考えています。
 主体的な学習が進んでいるとき、第三者の立場で参観していると、先生が指図することも少なく、ささいな声かけだけの時間が延々と続いているように見えます。前後のつながりが分からないと、参観者は退屈でしょうがない授業だと感じることになります。ところが、そこに至るまでには、先生が主導権を持って子どもたちの思いを束ね、何をすればよいか自覚している子どもたちに育てているわけです。問題を把握していれば、子どもたちが自ら進んでするとは限りません。何を活用して、何を調べていけばよいのか見通しを持つ共同作業、あるいは話し合いが土台にあるわけです。
 主導権を誤解しないでいただきたいのは、先生が指示命令を出して先生の意図するとおりに子どもたちを導くということではありません。子どもたちの判断材料が選択できるように用意したり、考えが広がりすぎて大仕掛けになりそうなときに焦点化できるような助言を与えたりして、学習全体の流れを微調整するための主導権です。一斉に一括して処理することは困難になると思いますから、個々の子どもを把握したうえで実行することになります。

 子どもたちを束ねようとするとき、先生の意図にそうか、そわないかはテーマ全体を見据えて、関連づけをすればすむことです。つまり、主導権を持つためには、先生自身がはんぱな知識を持ったままではまずいでしょう。テーマ全体を見渡す知識が必要だと感じるならば、先生自身も能動的に調べ、学ぶことになります。結果的に判断材料が増え、停滞する子どもたちに何を助言すればよいかも考えやすくなります。
 また、子どもたちの疑問や質問に即答してしまうと、学習すべきことを奪ってしまいます。「なぜだろう?」「名前は何だろう」と子どもが思ったときに、結果を得てしまうと終わりになることが多いのです。そういうときに適切な調べ方や解決方法のヒントを知らせることで学習が持続する役目も負うわけです。
 一斉指導に慣れきってしまうと、先生が主役になってしまう専制的な主導権が実行されやすいことを知っておいてほしいと思います。これがいけない指導方法だと言うのではありません。個々の子どもによって、ある程度先生の主導権が専制的にならないと学習が進まないこともあるでしょう。
 子どもと先生が1対1の関係ならばあまり問題にならないでしょうが、一人の先生が数十人を組織的に動かそうとするとき柔軟に対応できる主導権を発揮していただきたいと思います。ましてやティームティーチングを組むときは、先生同士のチームワークの中に主導権の役割分担が重要になります。