総合的な学習の連続性
 授業開きの中では、先生と子どもの意識のずれを念頭においてほしいと考えています。意識のずれというのは、先生のほうが学習内容を関連づけて全体が見えているのに、実は子どもたちのほうは初期化されているということです。連続的に考えることが未分化の状態であることをふまえて先生は先導していく余裕を隠しておくことで、子どもたちの思考を揺さぶり広げていくことができると思います。
 子どもたちは、学習内容の連続性を意識することが少ないのです。意図的に先生が関連性を質問した場合、つながりを理解したうえで答えていると先生は勘違いしてないでしょうか。特に中学年ぐらいまでの学習は断片化しています。発達段階からいえば高学年に入ってから、徐々に知識の統合化が進んでいくと考えた方がいいでしょう。
 例えば、既習事項を使わないと本時の学習が成り立たないというとき、意図的に復習することはよくあることです。しかし、簡単に扱えば思い出すであろうというのは先生の思いこみであって、多くの子どもは、連想ゲームに参加しないまま、提示された事項がなぜ関連するかを考えているに過ぎません。先生は既習事項を生かすと考えながら、子どもたちは学習したかどうかを思い出すより、なんでこのことが関係あるんだろうと考えるしかありません。これから学習することと関連づけるための情報は得ていないわけです。これも双方の意識のずれです。
 実践のまとめがあると子どもたちは前年にこんなことをしたのかと先生は把握できます。しかし、子どもの側から見れば、1年間の取り組みは自己完結してしまっているか、途切れているか、極端な場合断片的な印象しか残っていないでしょう。連続性を考えていくのは先生の役割であって、子どもは関連づけに興味を示すのが自然の流れになります。
 スタート時点では、前年のつなぎを意図しなくても、テーマが子ども自身のものになるような投げかけのほうに全力を尽くして準備していただきたいところです。テーマに納得して疑問や考えを広げる方に力を注ぐということです。学習が連続するような知識、解決されていない問題点、取り組むことのできる事例を豊富に提示できる準備のほうが大切になります。体験も少ない、知識の幅が狭い、生活力が乏しいといったひ弱さを持つ子どもたちに刺激材料を示さない限り自発的な学びは喚起できないと考えるからです。

 小学校ならば4年間、中学校ならば7年間の総括は最終年度に必ずできるというものではありません。学習の統合化は興味の向くまま一生続いていくことを願いたいのです。言いかえればだれにもライフワークがあるという現実を迎えたいものです。