学び方と学力
 以前少しだけ学び方のモデルを考えましたが、学ぶという方法、力にはどんなものがあるのかと思いを巡らしました。

 「まねる」幼児期から身につけた最も基本的な学び方です。同じ動作をまねることによって必要な力を身に付けていくことになります。もちろん、単純にまねるだけで学びが成立するのではなく、まねしたことを認識するようになって学んだことになると考えられます。まねの入り口には、やってみたいという意欲や関心が控えています。いっぱひとからげにまねをさせただけで、学び方が身に付いたというわけにはいかないでしょう。

 「比べる」これも基本的な学び方です。大小、多少、同違、色、形などを比べることをとおして学んでいきます。数や量の概念形成をしていく過程ではよく使われています。意志を形作っていくときには、物事や考え方を比べています。比べるという単純作業だけで終わることは少なく、多くの場合は価値観の形成が同時進行しています。大きいことはよいことだ、少ないことはよいことだといった二次的な情報が学ぶ過程でつきまといます。

 「繰り返し」知能が未分化の時は、繰り返して学ぶということが多くなります。動作、話す、書くなどの方法で同じことを何度も繰り返すことで、脳の記憶回路に定着させています。繰り返すことがおもしろいという場合もあれば、機械的で味気ないという場合もあります。「まねる」と同じく興味関心や必要感が動機づけになりますから、一方的に方法やノルマを与えただけでは身に付かないことがあります。大人になってもけっこうこの方法は使っているはずです。資格試験の一夜漬けなどはまさにこの方法です。

 「覚える」覚えることだけが目的となると学びにはつながりにくいものがあります。覚えたことが役に立つという場面に出会ったり、覚えていたために問題解決の糸口が見つかったりする成功感を味わうことが大切です。「繰り返し」を使って「覚える」だけの受け身的な学習は手段にしかなりません。単語を覚えるということは言葉を獲得していく過程で意識しようとしまいと必ず出てきます。単に言葉と意味を知っているだけでは力にならず、有機的に考えが結びつくことで意味あるものになっていきます。

「試す」理科の実験やものづくりの入り口はこの方法が多く使われてきました。昔の人が試行錯誤しながらやってきたことを試しに自分でやってみたら同じ結果が出るだろうかという方法です。算数や数学で架空の場面設定になっている問題では試しにやってみようということもあります。

「体験する」「試す」と類似する方法になりますが、こちらのほうが現実生活の中でより具体的な活動をしていくところが違います。ものづくりそのものとか、未経験のことを行うことで過程を学び取ることになります。

「操る」具体物、半具体物などの操作や機械、道具の操作まであります。「操る」の過程から論理的な思考を学び取ったり、技能を身に付けていくことになります。機械や道具の場合は手段として学び取ることが多いと考えられます。操るだけでは、大した意味がなく操ることを生かしていく段階があることに意義があります。例えば、車を運転することは操作を学んで、身に付ければ可能ですが、ルールに従って操るためには論理的な思考が要求されてきます。

「まとめる」知識や現象を一つひとつ関連づけて筋道を立てた自分の考えを作り上げていきます。知的水準を引き上げていくことが要求される部分でしょう。断片的な知識を関連づけてより高い次元の考えを導き出すために必要な方法です。

「よみがえらせる」一度やったことを再びやってみることで、「繰り返し」、「試す」とは少し意味合いが違うでしょう。感動体験をくぐり抜けることで、可能となります。同じことをもう一回やってどこがおもしろいんだという人は、感動が少ないわけです。演技とか演奏という手段はここにあてはまります。

「調べる」調べるという学び方の前提には「分からない」「知りたい」という意識が必要です。つまり、目的があってそれにたどり着くための手段として調べることが必然的になります。よくある例えとして、アンケートをしたが、その結果から何をしたいのかはっきりしないようなアンケートがあります。アンケートをとることだけが目的になって、集計したら終わりというような場合です。

「確かめる」根拠を見いだして、予想なり、仮説が正しいかどうかを判定していく作業です。科学的に物事を考えて結論づける力となります。「まとめる」と絡まりながら使われていくことが多いと思います。

「あらわす」自分の考えを他者に伝えるために身に付けたい方法です。書き言葉、話し言葉、絵、音、形などを複合的に使っていけるとすばらしいでしょうが、普通は得手不得手がありますから、自分にあった方法を選択できることのほうが重要です。

 体系的なものは何も考えずに思いつくものを羅列しただけですが、総合的な学習を進める中で、子どもたちがどんな学び方を身に付けていくのか、先生自身が手がかりになるものを持っておく必要があるのではないかと思ったのです。誤解のないように書いておきますが、これらは総合的な学習の時間だけで培われ、活用能力を高めていくというものではありません。学校、家庭、地域のあらゆる教育の場で実現させていく必要があります。学校教育で扱った学びが子どもたちの生活の中で展開されてこそ、子どもたちは育っていることになると思います。体系化された学習理論もありますが、現場の言葉で学力観を作り上げていかないと「ほんとにこれでいいのだろうか」という不安が渦巻きそうです。