総合的な学習をまとめる
 実践事例のあり方についてはこれまでに教科教育や領域の研究で数多く出されてきましたから、取り立てて論議することはないような雰囲気があります。しかし、論理的に分かりやすい事例報告に出会う機会は私自身ほとんどなかったように思います。もちろん私自身が書いたものもその例にあてはまってしまいます。
 単なる実践報告といえども、目的や仮説をふまえて実践的に研究し、検証を試みていますから、研究論文に匹敵する体裁は整えていてもいいのではないかと思います。前例主義に従った指導案の様式や研究紀要の様式がまん延していますから、思い切った、しかも常識的な様式をつくっていくことで研究実践のレベルは上昇傾向に移るだろうと期待します。

 まず、一つめの要件はインデックスをつけることです。本文や資料をつきあわせなくとも、どんな目的で、どんな手だてを使って、どんな成果が結論づけられたかを要約したものが最初に表示されることで、実践の概要を短時間に的確につかむことができるようになります。実践事例が個人の知的財産、あるいは著作物として踏みとどまることなく、多くの先生方に活用できる資料となれば創意工夫の原動力になるはずです。
 一般的な研究論文は、自分の研究が独自のものであるかどうかを一番に判断しなければ、研究が徒労に終わってしまいます。何がどこまで研究されて結論づけられているかを確かめるためにインデックスは重要なはたらきをしているわけです。
 そこにたどり着くためには、これまでの意識を改める必要性が出てきます。先生が職務上作成した文書は、先生自身に所有権、著作権があるでしょうか?

 民間会社の研究室で反対されながら、ただ一人可能性を信じて研究の成果を上げた青色発光ダイオードの特許権の話とよく似ているところがあります。起案文書などは自分が作成したといっても公務上の文書ですから、自分のものではありません。学校または、自治体に帰属するというのが常識的な考え方になります。つまり、勝手に持ち出してはいけない性格を持っているといえるでしょう。研究にかかわる文書もまた同様ですが、特定できる一人の先生が考え出したことだという人格権はあると思います。
 総合的な学習の実践が単なる思いつきで場当たり的なものにならないようにするためには、後進に引き継ぐ知的財産なり、著作物が大切な意味を持ってきます。それらを先生方が共有することで、新たな価値のある実践が生き残っていくと思うのです。

 二つめの要件は、必ず作らないといけない見出しのことです。報告のために形式的に体裁を整えた見出しではなく、自分以外の実践者に伝えるための見出しです。あえて先生と一般化しません。実践者です。その理由はじっくり考えていただきたいのです。
 主題、主題設定の理由、目的、手だて、学習素材、指導の流れ、支援、発言記録、活動記録などは普通に思いつくでしょう。それ以外に投げかけ方、先生の思い、子どもの思い、先生が用意した課題、子どもが持った課題、子ども一人ひとりの見通し、子ども一人ひとりの到達目標と到達度、子ども一人ひとりの評価規準に照らし合わせた評価などが加わったらいかがでしょうか。ただし、これらがすべて網羅された見出しがよいというのではありません。あっても、なくてもかまわないようなものも含まれています。要は、なぜこのような結果、成果が出現したのかが分かればいいと考えます。

 三つめの要件は、引用、参考の出所を明らかにすることです。だれのどんな考え方を使ったか、どの著作物から資料をコピーしてきたか、どの実践報告を参考にしたかなどです。これらを明らかにすることで、実践者自身の独自の考えは何かということもはっきりしますし、著作権にもきちんと配慮したものになります。指導資料として複写が特別に認められている教育現場にいると著作権の設定を意識しないことが多くなります。自分の考えと人の考えを境目なく使っていると、口先だけの主体性を唱えているとすぐ見破られてしまいます。だれに対して、何を伝えようとしているか明確にしておけばおのずと自他の考えの違いもはっきりします。

 このようにして、先生が「だれに、どのように伝えるとよいか」という意図を考えるようになると、子どもたちにもまとめたことを伝える意義が教えやすくなると思います。ひとりよがりのよい実践はあり得ないと私は思っています。