学習を創造する基準
 先生の仕事はすべて法的根拠に基づいて行われています。教科指導も学校事務も何らかの形で法規がありますから、全国一定水準で進められるよさもあります。法で規制されていることに反発を感じる先生もおられるようですが、もしそうしたものが一切なかったら、よりどころにするものがなくなってしまいます。もちろん、法律の正誤は常に監視する必要があります。しかし、解釈と運用は合理的に判断して実務に生かすべきだと私は考えています。長年、不合理な矛盾をはらんだままの法律がなかなか廃止にならなかった実例に学ばなければなりません。つまり、法律に縛られているととらえるより、法律をよりどころに効果の高い教育活動を展開することのほうが意味があるでしょう。
 総合的な学習の時間のよりどころとなる法的な基準は以下の引用部分に集約されます。
小学校学習指導要領
第1章 総則 
第3 総合的な学習の時間の取り扱いについて

1 総合的な学習の時間においては、各学校は、地域や学校、児童の実態等に応じて、横断的・総合的な 学習や児童の興味・関心等に基づく学習など創意工夫を生かした教育活動を行うものとする。
2 総合的な学習の時間においては、次のようなねらいをもって指導を行うものとする。
 (1) 自ら課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質
  や能力を育てること。
 (2) 学び方やものの考え方を身に付け、問題の解決や探求活動に主体的、創造的に取り組む態
  度を育て、自己の生き方を考えることができるようにすること。
3 各学校においては、2に示すねらいを踏まえ、例えば国際理解、情報、環境、地域や学校の特色に応 じた課題などについて、学校の実態に応じた学習活動を行うものとする。
4、5略
 文言の解釈は多くの方々が解説されてきたところです。運用を考えていくときに重要な点だけ指摘しておきたいと思います。
 まず、二つのねらいに示された「資質」、「能力」と「態度」を育てることの意味を常に検証していかなければならないと考えます。ときおり、「何をすればよいか分からない。」という意見を聞くことがありますが、これは指導要領の理解ができていないからです。「こうしなさい。」という具体的指示は書かれていません。学びを創造することをねらっているのです。これまで、教科の学習、特別活動や学校裁量の時間にやってきたことと微妙に異なるのは、生きていくための力(生きる力)を育てなければならない点です。
 次に、評価の方法を開発していくことです。人格形成のために要求される様々な力を複合的にとらえていかないと、偏差値のあるころがよかったという懐古趣味におちいってしまうでしょう。先生は、子どもたちが学習をしたら、どんな力がつくのかということをカンで応えるのではなく、根拠を示す必要があるのではないかと考えます。
 私自身の思いは、生きていくために必要な力は図表に書き表せるようなものではないと考えています。これだけの力を完璧につけたら必要十分条件を満たすというものでもないと思います。簡潔に考えると、自分が必要とするものを自ら見いだし、追求していく力があるかどうかです。その力を裏付けるのは、認知しているかどうかではなく、認識しているかどうかということにつきます。