極小規模校での総合
 私が今勤務している学校は、極小規模校とよばれています。そして、へき地教育、複式教育が進められています。そんな中で総合的な学習はどのように進んでいるかを紹介します。
 一番のまちがった重圧は、へき地、複式に対する認識が低いために生じている負のイメージです。不便だろうな、大勢でないとできないことは困るだろうな、2学年まとめてみるのは大変だろうな、・・・など、なぜか負のイメージが先行していることが多いわけです。普通の規模の学校が標準的な教育活動としていることを極小規模校では断念している部分があるのではないかと思われているようです。
 第一のよい点は、財政的に非常に高いコストが投入されていることがあげられます。必要なものはどこの学校も大きな落差なく整備されていますから、一人あたりの額は全体でみるとかなり高くなっていきます。教育費を考えるとき、金額の多寡を問うより、何が標準的な経費なのかを裏付ける材料を極小規模校は提供しています。
 第二に複数学年を一人で教えることは一桁の人数なら困難は非常に小さいと言えます。体験や実習、実験に関することは、少ないからこそ全員に徹底できます。傍観者を作ることはできないわけです。来年度から内容が複数学年で示された教科が増えますが、複式教育を進めてきた現場では年間指導計画の配列が今まで以上に容易になります。学年を前後させたために習っていないと困るということがなくなるわけです。
 第三に個別化を図った指導法が教育効果を高めるという点があげられます。20人も30人も相手に個別化を図るよりずっとやりやすいわけです。「一人ひとりを大切にしよう」とかけ声をかけることは、当たり前すぎて学校の教育課題になりにくいのです。
 第四に人数が一定程度そろわないとできないことは何もないということです。野球形式のゲーム、サッカー、バスケット、合唱、運動会・・・など先生と子ども一人ずつでも公式ルールにとらわれなければできることですし、現実に行われています。学級事務はあっという間に終わりますが、担当することは多くなりますから、先生の守備範囲が広くないとこなせません。事務処理能力が高ければ、子どもとのゆとりはたっぷりあるでしょう。
 このような状況の中で総合的な学習を模索すると、ふるさとのよさを追求していく課題に目を向けさせたくなります。なぜ過疎にブレーキがかからないのかを問い続けていかないと村は消滅するかもしれないわけです。地域の高齢化が子どもたちにとって目に見える問題ですから、掘り起こせる場面は見つけやすいでしょう。様々な面で地域と密着して、相互に交流していかないと行事が成り立たないところもありますから、これまでの取り組みの延長線上に活用できる場があります。地域の人材を学校に迎え入れたり、逆に訪問したりすることが積み上げられていますから総合的な学習を進めるうえでは土台があります。
 一方、豊かな自然に目を向けさせることは難しいことです。豊かすぎて、問題点がはるか彼方にしかいないのです。水も空気もきれいですし、草木も元気ですから、少しずつ自然素材を活用してものづくりを行い、生活に生かすことを考えなければならないようです。