総合的な学習の発問「ものづくり」
 ものづくりへの誘いは、子どもたちが興味を持ちそうな素材をいきなり出して、作るという体験活動に終始してしまいやすいものの一つではないでしょうか。ていねいに身近な生活の中から接点を見いだして、問題点を探すことのできる体験活動を仕組む全体像を描いてほしいと思います。ものづくりという言葉自体がすたれた技術をかっこよく見せるために作られたようで、デスクワークしかしていない人の発想のような気がします。
 本来生活用品を機能的、美的に追求してきた結果として実用的な工芸品ができたわけですから、究極には技を極めるということがかかっています。焼き物、竹細工、木工、紙細工、皮細工など手のぬくもりと美しさ故に技が受け継がれてきたのです。ぽきんと折ればどこまでも金太郎の絵がはんこでついたように出てくる金太郎飴の世界を探索しなければなりません。同じものが出ることに感動する場合と同じものが出せる職人の技に感動する場合とでは奥行きが違ってきます。

 「手のぬくもりを感じる道具を使ったことはありますか?」
 「身の回りに、手作りの道具や物が見つかりますか?」

 体験しないでよさまで見つけてしまうと、生きていくための知恵とはなりません。自分も作りたいという必要感は、道具を作ると次へ進めるようなプログラムが欠かせません。大量生産された道具を使わないで、道具を作るための道具を作る回り道が必要感に変化するのではないかと予想します。

 「木や竹をけずる道具を作るにはどうしたらよいでしょうか?」

 かなり大きめの釘とかなづち。羽曳野市とか香川ではサヌカイト。地名が出てきませんが、黒曜石。身近な素材はあちこちにあります。かつて、子どものころ目立て用のヤスリの使い古したもので、切り出しナイフを作ったことがあります。鉄の焼き入れをなましたり、入れたりするのがたいへんですが、けっこう使えるナイフができます。市販の切り出しナイフの切れ味は最初だけです。刃物の刃は研いで使うことを実感させないと道具を使いこなしていることにはなりません。
 宿泊行事の野外炊事のプログラム例として<食器を作らないと食べられないそうめん流し>が考えられます。すべてを自力で供給するのは困難ですから、最大限自力で供給することが、問題解決をしていく場面を多くします。
 もう一つ、私の経験からつけたしておきます。職人技を手ほどきで教わることは困難です。技は盗んで自分の身につけるしかないようです。