総合的な学習の発問「雑食」
 雑食をテーマに掲げるとき、理科、社会科、健康教育、給食教育などからの関連学習の構想や食農文化を展開する出版社、栄養士に新たな職務内容を設定する教育行政、異常なぐらいに増えたサプリメント商品など豊富な話題が渦巻いています。そうした教育現場を取り巻く外からの思惑に振り回されることなく学習者の主体性を確保していくことまで考えなくてはならない分野です。

 「どんないのちを食べましたか?」

 出発点はここにあります。子どもたちから出てくる食べ物の中には、いのちを支えるためのいのちが入っていない食べ物もいくつかあるでしょう。そのうちの一つ「塩」にたどりつくのは難しいかもしれません。ましてや無機質の微量栄養源は遠いところにあるものでしょう。勘違いしてはいけないのが、調味料です。生命体が複合していく中で塩以外の調味料は作られていますから、謎解きはやや複雑になります。

 「いのちを支えているものは何ですか?」

 いのちを育む環境には、水、空気、日光などの自然環境と生産者という人的環境があります。途中の過程に目を向けるならば、生産されたいのちを原料に二次的な生産物を生み出している加工食品の世界があります。大豆と豆腐、小麦とパン、米とビーフンなどです。雑食文化の奥の深さにたどり着くためには、1900年代前半を生きてきた人たちと交流を持つことできっかけづくりができます。

 「昔の食べ物は今と同じでしょうか?」
 「どんな方法で調べますか?」
 「子どものころにどんなものを食べていましたか?」

 かつての食文化を再現するような体験を元に、現在の食文化が抱えている問題点を掘り起こすのは、たいへん難しい取り組みになってしまいます。食品の変質を防ぐための薬剤、味覚や見栄えを助ける薬剤につからされている現実を批判していくわけですから、初等教育の段階では断片的になるかもしれません。それよりも、生産と消費の循環型社会を体験的に学習していくことの方が意義があると私は考えます。