総合的な学習の発問「命」
 食文化といのちのつながりは具体的に現実的に直面しますから、問いかけもしやすくなります。ところが、殺しあいとか、災いとかでいのちを問いかけるときは、一定の条件を整えたうえで進めたほうがよいと思います。学習者が直接体験できない素材は資料に頼る部分が大きくなります。そのために直接体験をした人を介して間接的に実感を持ちながら学ぶ方法になるでしょう。

 「自分のいのちがうばわれるのはどんなときですか。?」
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 「その中で自分から避けることのできないものはどれですか?」
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 「学区の中に戦争を体験した人が住んでいるでしょうか?」
 「大きな地震を体験した人は住んでいるでしょうか?」
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 「身近にいないときは、どんな方法で探しますか?」

 聞き取りの相手をさがすと同時に何を聞きたいかという目的を各自が持つ作業が必要となります。さらに戦争については、歴史的な背景を理解しておく下準備も必要になります。日本史、世界史の教科書に書き切れていない部分を子どもたちが自発的に学ぶことで、聞き取りがその事実を実証していくことになります。
 また、地震については、防災の条件整備が自分の住んでいる町でどれくらい進んでいるか、という下準備が必要になります。市民的なレベルと個人的なレベルで自分のいのちがどの程度保証されているか学ぶことで、聞き取りが子ども自身の学びの質を評価していくことになります。
 少なくとも、授業で教えられなかったと言い訳する子どもであってはいけないと思います。教科書に記述されていないこと、先生が解説しなかったことを能動的に学習していく子どもを教科の授業で育てていくことが、前提条件になると思います。

「地震が起きてもわたしたちのくらしは大丈夫でしょうか?」
「なぜ戦争がおこるのでしょうか?」

 自分のいのちを大切にできるものは、他人のいのちも大切にできるという命題にいきつくことで、自分の考えを確かなものにしていけると予想しています。