総合的な学習の発問「紙」
 身近な素材から問題点を発掘させようとするときは、言葉よりも物のほうがインパクトがあるのではないかと思います。変わったところでは、使い終わった割り箸から紙を作るという取り組みをしている市民グループがあります。雑草や野菜やわらなど木以外から紙を作ってみるという実践例があります。
 「紙を作ってみよう」と投げかけるとき、「この紙は何からできていると思いますか?」と実物を示して、作ってみたいという気にさせる方法です。しかし、これでは作ってみるだけで、紙に潜んでいる問題点にたどり着くかどうかはあてになりません。紙を作る過程で気づかせることがどれだけでてくるかを問題にしなければなりません。
 「どんな材料が紙にできるのでしょうか?」
 「よごれた水は、川や海の水をよごさないでしょうか?」
 「電気やガスなど、どれくらいの燃料がいるでしょうか?」
 「薬品の混じった水はこのまま流してだいじょうぶでしょうか?
 「紙がむだだと思うことはありますか?」
 「やぶれにくい紙の秘密は何でしょうか?」

 身の回りにあふれている紙に対して危機感を持つことは、「紙がない」という実態が現れるまで考えにくいものです。電気、ガス、水、灯油、ガソリンなどすべて同様です。かつてのオイルショックの騒ぎは、過去のものとなり、現在への教訓にはなりきっていません。有限の資源、環境について考える価値があることは、だれも否定しないでしょう。そこで、どんな切り込み方があるか考えてみました。
 「リサイクルされているのはどんな紙でしょうか?」
 「1日のごみを紙と紙以外に分けたら、どんな問題が見つかりますか?」
 「毎日使っている紙はこれから先もずっと使えるでしょうか。?」

 「アルミのように再生するほうが安くできるでしょうか?」
 「紙をむだ使いしない商品はありますか?」

 「紙のおかげでむだが減っている商品はありますか?」
 「紙がなかったころはどんなくらしだったでしょうか?」

 行き着くところは、今のくらしが本当に進歩しているのか、本当に豊かといえるのか、本当に便利になったといえるのか、ということになります。例えば、トイレに入って紙がない、ウォッシュレットなら心配ない、こういう発想は1000年も前の習慣が形を変えて現れているのです。あるいは、集めるだけでは完全リサイクルにならないが、確実に分別すれば完全リサイクルになるという現実があるのです。