主体的になっていますか?
 主体的な学習の理論や方法については数多くの文献があります。理論や方法を研究することも大切なことですが、生き方として先生自身が身につけているかどうかが問題になります。何をどのようにすることが主体的な考えに基づいているか知らずして、理論や方法で受け売りしても実体が伴わないでしょう。常日頃から先輩の先生方に依存しすぎたり、指導的立場の人の適切な指示を期待して頼りすぎたりすることになってしまいます。頼ったり、コピーしたりしてはいけないと言っているのではありません。コピーをかみ砕くだけの主体的な判断力や思考力が求められているのです。
 総合的な学習を実践しようとするとき、子どもたちにさせなければならないことより、子どもたちがするのを支えるほうが主となります。「自分から進んでしなさい。」「自分で考えなさい。」「自分の思うようにしなさい。」「人に頼らないようにしなさい。」などと実体のない支援らしき言葉があります。具体的な指示や励ましがないとき、先生自身の主体も子ども自身の主体もはっきりしなくなってしまいます。

 また、体験や活動だけでは総合的な学習になっていないという主張があります。根拠となる考えは、学ぶ問題を見つけて解決していくことが総合的な学習の本来の目的だからという理由づけで終わることが多いと思います。体験や活動は見かけ上は自分から進んで意欲的に取り組んでいるように見えます。しかし、出発点は先生の投げかけだったはずです。体験や活動をさせている部分の主体は先生にありますから、子ども自身の行動に変わるところを見定める必要があります

 子どもも先生も主体的であるかどうかは行動や考え方に現れます。自分を内側から見るのではなく、もう1人の自分が外側から自分を見る練習を積み重ねることです。

・ まわりの人がいいと言っているので迎合しているところはないだろうか。
・ やってみたい、やってみようと思うけどめんどくさいからやめておこうと思うことはないだろうか。
・ なぜ、どうして、分からないなと思うけど、手っ取り早く片づけたいところはないだろうか。
・ 人から指摘されたり、批判されたりすると即座にやる気をなくしてしまうことはないだろうか。
・ 新たに考えるのはしんどいから前の通りにしてしまうことはないだろうか。
・ 自分の考えや意志をはっきりさせないことが多くないだろうか。
 主体的に考え行動することと自分勝手に振る舞うこととは似ていますが別物です。個人の考えを尊重することと自分の利益を中心に考えることは似ていますが違います。似ているだけに気づかない人もいます。例えば、日常的な場面でよく表れるのは、買い物、募金、署名などです。

 先生自身が主体的な生き方のモデルを持って総合的な学習の時間に取り組めば、指導法が多様に変化すると思います。そして、やりたいことがはっきりしてきますから、子どもへの接し方も変化すると思います。要は自分がすべきことと、相手がすべきことをわきまえながら考え、決断する力をつけていくことだと思います。