教科の発想を越えていますか?
 教科学習をしてきているとついつい学年を越えて前の学習の定着はどうだったのか、関連するあの学習のできはどうだったのかと思いが巡ることが多いと思います。特定の内容だけを完璧に修得させればよいというわりきり方ができなくなります。学習の連続性、関連性が気になるのは、それだけ先生自身の教材研究の成果が上がり、土台からきちんと学習を積み重ねさせようとする結果だと思います。一つの教科が学年間でどのように関連しているかを知ることは、子どもたちのつまずきの原因をつかむうえでは欠かせないことになります。また、異なる教科間の関連性を念頭に入れておくと指導していくときの軽重をつける材料になります。ベテランになればなるほど学習指導の連続性は大切な要素なのですが、それがすべてに通用するとはいきません。ぽつんと投げ入れ的な単独の学習内容を取り上げ、単発的、不連続の学習があってもいいわけです。高度になりますが、連続性を考えるのは、子ども自身であっていいわけですから、すべての内容を系統的にお膳立てすることは学習者自身のためにならないと考えます。
 一方で教科書に忠実であればあるほど示された内容を常に完結しようという考え方が出てきます。教科書に示された問題はもちろん、反復練習、定着を図るという名目でドリルやワークブックが与えられていきます。その場合、うまく完結しない子どもがいるときは、どうしても先生のペースでことが運び、最終的には先生自身が自己完結を達成することで、きちんとやり終えましたと納得している時です。「やり遂げさせた」ことを「やり遂げたこと」に置き換えて済ませていることはないでしょうか。もちろん子どもたちはなんかよう分からないうちに終わってしまっていたと感じるだけのことです。中には、できないまま与えられた問題を放棄することもおこっているでしょう。一人ひとりこなせる問題の量が異なることは珍しいことではありません。また、自分の考えや複数の答えを書いてオープンエンドにする学習がたくさん行われていない現実もあります。

 総合的な学習は先生があらゆるカテゴリーの中から取捨選択して内容を体系化していく作業がともないます。体系化を実際にやっていく作業は先生ではなく子ども自身がするわけですから、そこのところを取り違えてはいけません。子どもたちは自ら獲得していった知的財産を自らが生きるために活用できるように道を切り開いていくことが必要なわけです。いかにも結果を先生なりに見据えているからといって、子どもが考えるところを横取りしてしまったら、お節介というほかありません。
 勘違いしないようにしていただきたいのは、系統的な指導や完全に習得させる技術を否定しているのではありません。教え込み、たたき込まないといけない学習内容も数多くあることは自明のことです。以前のコラムにも書きましたが、小学校4年程度までの学習内容は一生つきまとう力ですし、生活基盤を支える力でもあるのです。生活の中で使う言葉や漢字は使いこなせないといけませんし、物の考え方や概念を認識するためには算数も避けて通れない問題です。