振り回されてませんか?
 「生きる力」を育む総合的な学習の時間がトンボのように大きな目玉になっているところへ複眼がいっぱい貼り付けられようとしています。みなさんは、当初の基本線を理解して確かな足場を築いておられるでしょうか?ものづくりの構想、ボランティア体験の構想、英会話学習の構想などなど・・・。教育現場が抱えている様々な問題点と一部の世論の教育に対する必要感に対症療法的な意見と答弁が見え隠れするようになりました。マスコミに登場する話に振り回されることなく、2001年度のスタートを切りたいところです
 
ちまたでは来年度の教科書の検定結果が公表され、マスコミで話題になったり、専門家の持論が多数飛び交っています。薄っぺらになった教科書を論議する余裕もないまま、現場では総合的な学習の時間をどうふくらませていくか、削減された内容をどうこなしていくかという、上からの指令に対して実務の中身を考える段階に来ています。多くの場合、常に机上の論理を子どもと向き合ってこなしていくのが学校現場です。文言に書いたとおりにならず、様々な解釈のもとに実践が展開されてきたわけです。だからこそ、振り回されることのない理念を持って、どこの学校に行っても通用する実践を展開することを願っています。
 
教育課程の編成では、時間を増やして、今年度は70時間ぐらいを配当しているところが多いのではないでしょうか。あるいは完全実施をしていこうとしているところもあるでしょうか。いずれにしても、削減時間を寄せ集めたり、学校裁量の時間をつぎ込んだりして時間を確保しているところが多いと思います。
 しかし、今年度もまだ時間数が35時間以下しか確保していないという学校も現実にあるでしょう。そのあたりの時間数にとらわれることなく中身と指導法にこそ力を注ぐ見通しを考えていただきたいと思います。時間が多い少ないという論議は出発点ではありませんから、「なんで総合的な学習の時間を創るのか?」というところで、校内の先生方の教育観を見直す話し合いを持つ方が意義があります。新年度のスタートにあたって様々な計画が一時に提出され、議論を待たずに実施されていくことが多いシステムならば、改善を加えようとするときかなりの労力が必要になります。これまで先生一人ひとりが培ってきた教育観を子どもの立場に立って見直す作業のきっかけがいるからです。リーダーシップをとる先生がレールを引いて論破していくことはできませんから、「学び」を作るきっかけをいくつか提案していくことになるでしょう。先生自らが、高校や大学で学問を研究してきたならば、そんなにむずかしいことではないはずです。単位を取るために忠実に教授されたことだけを記憶してきたならば、「学ぶ」ことの意味はとらえ直さなければならないでしょう。
 次に前年度の取り組みを受けて時間数が増えた場合はどう組み立てていけばよいでしょうか。テーマが変わるとしても、前年度との接点をきちんととらえておいてほしいと思います。たとえ180度方向が変わったとしても、前にやったことと今年やろうとしていることが、どんな考え方のところで共通しているか、先生は見抜いていないといけないと思います。そして、次に考えておくところは内容の種類をふやしていくのか、内容を広げたり、深めたりしていくのかという点です。担当する先生が代わって、先生の思いや子どもたちの願いから方向がどこに向いても、総合的に筋道を組み立てればよいわけです。