途中でやめられますか?
 テーマを設定し、大きな枠組みの問題を投げかけて、いざ取り組みを進めても子どもたちが興味を示さず、やればやるほど先生がレールを引いてしまう泥沼状態の実践になってきたらどうしますか。おもしろさを感じないまま、先生の独断で引き回しているなと感じたら、あっさり見切りをつけることです。
 
盛り上がらない原因をあれこれ探してみても徒労に終わってしまいます。投げかける材料がよくなかったのか、投げかけ方がよくなかったのか分析してみても、振り出しに戻して再び実践することは困難だろうと思うからです。指導力のあるなしにかかわらず、子どもたちが訳も分からず言われるがままにいやいやしていることに気づくだけの感性が要求されます。興味関心は、学ぶための原動力になるものですから、この出発点が成功していないなら、いじり回すだけの値打ちがないことを示しています。
 
教科の学習でも、計画どおりに実践されていないはずです。理解に手間取れば余分の時間が費やされ、興味がわきにくい内容や重要と思わない内容は時間を圧縮している現実があるはずです。総合的な学習の時間と異なるのは、学習内容と目標がくくられているところです。内容と目標が自由に設定できる総合的な学習の時間は、柔軟に軌道修正、打ち切り、切り替えができます。
 
行き詰まりそうだなと直感したら、総合的な学習の出発点に戻って組み立てることが先生にとっても、子どもにとってもプラスになります。国語とか算数、社会科という範疇で考える習性をやめて、人権とか、環境、自然という大きな枠組みの中で投げかける素材を用意し直せばいいわけです。先生自身が幅広い知識を土台にして総合的に考えたり、問題を見つけたりする力が発揮できれば、子どもたちの興味関心を狭い範囲に閉じ込めることなく、対等な立場で学習を進めていくことが可能だと考えられます。単発的に、思いつきだけで実践していたら、すごろく状態になりやすく、振り出しに戻ることが多くなるでしょう。
 以上のような指導法を中心とした行き詰まりの外に追求するテーマが深刻すぎて、子ども自身の考えが及ばない場合も考えられます。「福祉社会は実現するのか。」「差別はなくならないのではないか。」「なぜ人殺しができるのか。」など、身近なようでいて、あまりにも遠くにある問題は切り込む場所を見いだせないことになります。先生自身がその問題に的確な考えを示しにくいものは、やはり遙か彼方においておく問題でしょう。どんなテーマにせよ、子どもたちがどこまで現実的に解決できることなのか先生は見極めなくてはなりません。