総合的な学習とやる気
 学ぶことが自分のものになっているときは、楽しいものであり、時間を気にせず没頭していたいものであると思います。別の言葉に置き換えるならば、目標や主題に使われる「自ら 生き生き」という言葉になります。やる気というのは、あてがって達成できる、準備万端整えたからできるというものではありません。素材をコーディネートして本当の意味での支援をする教師の力量にかかっています。総合的な学習が軌道に乗っているかどうかは子どものやる気を実感することで先生自身の評価になっていくでしょう。
 
基礎的な学習内容を習熟するときは、やる気の意味が少し違います。反復練習をものともしないこつこつまじめな性格の持ち主は、常に賞賛しやすい子どもになります。気が変わりやすく、長続きしない性格ならば、叱咤激励が欠かせない子どもになります。出発点でしなければならないことが定まっていますから、安易に比較評価することも多くなります。こうした習熟のための反復練習がよくできるということとやる気は同等のものではありません。練習することの中身が練習するだけの価値を持っていると信頼しているから、やる気になっているだけのことです。
 総合的な学習に求められている問題解決学習、主体的学習を進める中でのやる気というのは子ども自身がいくつかのことを理解していなければなりません。理解と言ってしまうのは厳しすぎるでしょうから、「これでいけるのではないかな」というぐらいの見通しと考えてもよいでしょう。
 
出発点は興味関心を引きつけるなげかけになります。ここはさておいて、なげかけが有効にされたとして、つぎに期待するのは、子どものやる気になります。一人ひとりの子どもは、自分の知識や経験に照らしてつぎのような判断をしていきます。
?何をすればよいか分かっている。
?どうすればよいか分かっている。
?どのように解決できるか分かっている。
 単純に考えると先生自身にやる気が出るかどうかということになります。?は結果が分かっているという意味ではなく、徒労に終わらないというぐらいの意味です。いいかえれば、自分の考えが確実に持てる問題だということになります。やる気がなかなか起こらないのを子どものせいにしたらおしまいです。この子は、目的が分からないのだろうか、方法が分からないのだろうか、見通しが立たないのだろうかと、その子の背中に回って手だてを検討することが先生の役目になります。
 1ヶ月前のある研究会の閉会あいさつで「やる気のある先生は手だてを考えようとし、やる気のない先生は言い訳を考えようとする」という言葉が引用され、印象に残っています。