学ぶとは〜歴史〜
 社会科の歴史は6年生で学習します。歴史の学習が史実の一部を教えるだけなら、教科書を読んで注目に値することを覚えることになります。しかし、史実の一面から何を学び取らせたいかをきちんと考えている先生は、知識のみを伝えることに終始しないはずです。小、中、高で繰り返し社会科の歴史は扱われます。高校は、選択支として必ず日本史があるとは限らないでしょう。校種が上がるにつれて教科書のページは多くなり、詳細かつ広範囲の内容になっています。
 史実は、いつ、どこで、だれが、何を、どうしたという観点で綴られています。問題になるのは「だれが」というところです。過去のことですから、史料をもとに調べた人が主体になって歴史上の人物を語るという構図を描いておく必要があります。歴史が論議の的になるのは、史料の解釈と立場の設定です。命令する側と命令される側で受け止め方が異なるのは世の常です。このような見方、考え方を培って歴史を学ぶのは子ども自身です。
 コロンブスが新大陸を発見したという解説は歴史の一面でしかありません。コロンブス一人が航海して、上陸したところが未知の大陸であったということを検証したわけではないのですから、歴史を語る一文というのは、易しいことではありません。乗組員からしてみれば、みんなが協力したから大陸にたどり着けたと考えていたかもしれません。統率者であるコロンブスが手柄を独り占めしたと考えていたかもしれないのです。ましてや先住民族がいる地では、新大陸発見というのは事実として認めがたいと思っていたかもしれません。
 出来事は教えることですが、史実の解釈や立場の理解は子ども自身が学ぶことです。この学び方は、社会科だけでなくあらゆる学習に活用していくことができます。総合的な学習では調べ学習がしばしば使われます。ところが、調べるだけで終わってしまいやすいのは、こうした学び方が身についていないことによります。だれが記述したことなのか、だれがしたことなのかを明らかにして、学び手である自分がどう判断するのかを明らかにする学び方です。社会科学的な考え方を大切にした授業を日々展開すれば、総合的な学習でねらうことに重なってくると思います。もちろん自然科学でも数学でも同様のことが言えます。それぞれの分野の知識をもとに考え方を培って学ぶことを授業の中で描いていただきたいのです。
 国は学力向上の看板を掲げています。学力の中身を示していないという意見を言う人もいます。私は読んで字のごとくだと考えています。学ぶ力を上に向かわせる。いかがでしょうか。