学ぶとは〜箸と鉛筆〜
 日本ではナイフとフォークを使う食文化の歴史は浅く、伝統的な箸を使う食文化が主流です。もちろん日本独自のものではなく、大陸から入り込んだ文化です。優れている点は、箸も鉛筆も同じ持ち方をすることです。
 子どもが箸や鉛筆を使いこなせるようになる過程の中で、自らの学びは随所に見られます。教えたことができるようにしようと、繰り返し練習を積み上げています。幼児期、離乳食に切り替わるころ、スプーンやフォークと出会います。食べさせられている状態から、食物を自ら運んで食べるようになります。このころは、たいてい握りしめているはずです。まだまだ動作が,ぎこちないのです。子ども自身も親もいつから上手に食べるようになったかなど気にしていないでしょう。握りしめていても箸に切り替えると、持ち方が徐々に代わってきます。ここで教えることと学ぶことが鍵になります。
 箸を握りしめていても、あきらめずに持ち方を手ほどきしている場合は、基本動作が定着します。つまみ方や運び方を教える場面でも手ほどきする人が必要です。教えたことが型どおりにできるまで見届けることで身に付きます。3世代同居でない家庭で欠落しやすいのは、教えたことを点検する共通の基準がなかったり、見よう見まねでできると思いこんだりするからです。
 どのように箸を持って、目的とする動作を身に付けるかは、子ども自身の試行錯誤による学びができたかどうかによります。できていないのに、食べるという目的を達しているからと間違った判断を下すことで、身に付かないままになります。そして、次の段階である鉛筆で困ってしまいます。
 箸を使って食べることができるという目的と箸を上手に使うことができるという目的は別のものです。とにかく食べることができればいいということになると自分流に駆使することになります。上手に使うと確実に箸で扱える機能を数多く身につけるだけでなく、その方法が転用できるというよさがあります。このことに気づかせるために教えるのです。
 文字を書くことと同じように箸を動かす動作は、脳にイメージとして定着します。だから、一度身についた動作を修正するのは難しくなるわけです。子どもを取り巻く大人は、ぎこちない子どもの動作が繰り返し行われることでなめらかな動きに代わっていく変容を見届けることで、本当に教えたことになります。
 周りを注意深く見渡してください。箸と鉛筆の持ち方でどちら一方だけきちんと身に付いている人がいるでしょうか?握りしめた箸を持つ子どもが、筆記用具をもったら、やはり握りしめているという子どもの姿はとても気になります。くらしの中で教え、学ぶことを示す格好の材料ですが、総合的な時間でも学習素材を変えて同じことが繰り返されます。