食育と総合の横断
 学校教育における施策は、以下に引用するところに示されています。

 第三章 基本的施策
(学校、保育所等における食育の推進)
第二十条  国及び地方公共団体は、学校、保育所等において魅力ある食育の推進に関する活動を効果的に促進することにより子どもの健全な食生活の実現及び健全な心身の成長が図られるよう、学校、保育所等における食育の推進のための指針の作成に関する支援、食育の指導にふさわしい教職員の設置及び指導的立場にある者の食育の推進において果たすべき役割についての意識の啓発その他の食育に関する指導体制の整備、学校、保育所等又は地域の特色を生かした学校給食等の実施、教育の一環として行われる農場等における実習、食品の調理、食品廃棄物の再生利用等様々な体験活動を通じた子どもの食に関する理解の促進、過度の痩身又は肥満の心身の健康に及ぼす影響等についての知識の啓発その他必要な施策を講ずるものとする。


 これをもとにすると小学校では、理科、生活科、体育、家庭科などの教科と横断する部分が断片化した位置づけになります。実践的な啓発は、学級活動にゆだねられるところが大きくなります。横並びの教科領域を関連づけて、体験的な活動から理解をしていくのは、総合的な学習の時間に位置づけられたとらえかたです。
 これまで、学校給食と関連づけて指導するようにと、あちこちの場で指導主事が助言してきました。しかし、学校給食の意義と給食指導のありかたは、当面する問題点の解消にのみ力が注がれてきたわけです。栄養指導、偏食指導、食事作法、歯磨き指導などの限られた内容が、断片的に行われてきた現実があります。積極的に関連的な指導をしてきたとはいえません。対症療法的な指導の結果、子どもたちは分かっているのに実践できないという結末を繰り返しています。
 指導内容を横断的にとらえるためには、指導者である先生が熟知していないとできないことです。計画の手本を見せると手がかりになると思うのは、横断的なとらえ方ができているからです。指導内容がどのように関連しているか理解できていないと前に進まないでしょう。さらにやっかいなのは、一つの学年で完結しないという問題点があります。特に小学校の場合は、6年間の流れと教科領域の指導内容を把握する努力が必要になります。実務経験を要求するなら、運良くいって6年間かかります。言葉でいうのは簡単なことですが、横断的なとらえ方は現場にとって限られた先生しかできないという事実があります。
 そこで、食育を推進する手だてをどのように組み立てるかという出発点に帰らなければなりません。組織や計画を立てる前に横断的なとらえ方の練習がいると私は考えます。総合的な学習の時間が、断片的な手法に終わりやすいことと同じです。根本には、先生の好奇心や知識にかなりの格差があるのです。格差をならすため、知らないことを前提に、知ることの大切さを知らしめるだけです。
 食の問題は、まず、日常的な事実と派生して起こる問題点とを整理します。肥満や痩身志向の問題点は食習慣が派生して起こります。偏食、過食、少食、欠食などの乱れた食習慣と自身の遺伝子体質を理解していないことが、根本的な問題です。過食であっても吸収効率が低い人、少食であっても吸収効率の高い人は、肥満や痩身になりません。
 ところが、偏食はすべての人に健康上の問題を引き起こします。これまで話題になった健康によい食品の紹介がブームをつくり、偏食の弊害をもたらしたことは多くの人が知るところです。栄養のバランスをとったうえで、体重変化の過不足を気にして量を調節することができればいいのです。さらに、エネルギーの消費を促すほどよい運動が新陳代謝を助けます。つまり、いくつかの要素を総合的に理解し、自ら調節できないと食育のめざすところにはたどり着けないのです。
 横断するためには、総合的な知識を活用する能力が求められるということです。そして、横断しながら総合的に子どもが理解するよう助けるのが先生です。子どもたちの知識は不十分でも、先生の知識は相応の持ち合わせがないと発問することはできません。先生が知らないことを子どもに問いただすのは、質問になってしまいます。指導の基本をはき違えるようでは、指導力を疑われてしまいます。授業の流れで先生が問いかけるのは、発問だけで十分です。子供の反応がないとき、先生が自ら発問の解答をしてはいけません。