総合の解説書・リーダーシップ
 第9章第2節 1 校長のリーダーシップ P110

 校長はリーダーシップを発揮し、自分の学校の総合的な学習の時間の目標や内容、実施状況について、学校だよりやホームページ等により積極的に外部に情報発信し、広く協力を求めることが大切である。また、学習に必要な施設・設備、予算面については、教育委員会等からの支援が欠かせないことは言うまでもない。

 この部分は以前のコラムで取り上げてきたことです。教育改革が次々と進められる中で、現場の事務処理量は確実に増大していると思います。来年度は学習指導要領改訂の前倒しも始まります。変化が大きいときだけに、教育の不易の部分を見据えておくことが大切なことになります。世の中の動きがめまぐるしく変わったり、危機がやってきたりするとき、些細な対策に振り回されず、大局を見極めることの大切さが指摘されるのと同じことです。変化が大きいということは、不安定な状況にあります。つまり、不平や不満が出やすくなります。そこで求められるのが、リーダーシップです。指導的立場にある人が、適切な局面を見て方向づけをしないと所期の目的が達せられないことにもなります。
 校長が重箱の隅をつつくようなことをしても、学校独自の総合的な学習の時間は構築できません。管理職は、長期間一つの学校にとどまることはまれですから、組織的に人を育て、実現していく枠組みを示す必要があります。枠組みに対しては、出発点に総合的な学習の時間の趣旨があります。筋道が通るように何をどう組み立てるのかを指導的立場で示していくことで、リーダーシップが発揮できたということになります。先生方の思いを自由にバラバラの状態で任せることなく、ねらいに合致するように束ねていく力が求められていると思うのです。それができないと外部に情報発信するだけの中身は伴わないでしょう。総合的な学習の多様な実践の結果が、学校教育目標を達成するような流れとしてつながる中身になることです。
 次に、教科書代に相当する予算の確保もコラムで話題にしたことです。国や都道府県の補助金事業は、当年度決算になっているため、無駄遣いが指摘されてきたところです。必要なければ返納すればいいことなのですが、事業実績に基づいた予算はどうしても変動に対応した使い方ができません。使い切ることで、継続的に同額を確保できるという奇妙な現象が起こります。家庭の中で小遣いを貯め込んでほしいものを買うという使い方はよくあることです。月々の小遣いは使い切りなさい、余るのなら減らします、というやり方なのです。それよりも定額の小遣いを自由にやりくりして使える方が、学校現場としてはありがたいと思います。もちろん、過年度にわたり、余りが大きくなりすぎないよう報告義務は課されて当然です。事業に対する予算措置であるという原則は変える必要のないことです。
 最後に、ホームページでの情報発信は容易なことではないという実感が現場にあります。インフラ整備は進んで、通信網と端末はかなり充実してきましたが、それに見合う技術者は継続的に確保できないのが現状です。多くの学校が、更新停滞の状態に陥ったり、閉鎖されたりしていると思います。
 広報担当としてのWEBページ作成能力を持った人材は、興味関心がある先生に限られています。学校としてのスタンスを公開するわけですから、それに精通した先生であることという条件も要求されます。個人的な趣味の世界ではできないことです。私自身が運営に携わって痛感することは、転勤後に誰が引き継げるのかという問題だけが残りました。案の定、止まってしまいました。教頭職や専任教務主任にホームページを運営できる条件を求めれば可能でしょうが、個性を生かした分業の世界では思うようにいきません。紙媒体より有効な手段が生かせない実情は、声を発していかないといけないことです。