総合の解説書・テコ入れ
 平成23年に向けて時間は削減されたものの指導要領の解説書が公開されました。中身は予想を超えるものではありませんでしたが、この一冊でどれほどテコ入れが進むのか楽しみでもあり、不安でもあります。
 私は8年間、現場の中で動向を見ながら、転勤によって4校の総合的な学習の時間をテコ入れしてきました。一度形作られたものを出発点に戻って一から組み立て直すことができたのは2校だけです。最も手強いと思うのは、これだけの内容をこなしていけばいいと設定された安易な素材の羅列です。毎年同じことを子どもたちに押しつけて、学びを組み立てようとしない動きは柔軟性に欠けるだけでなく、新たな投げかけがないままの繰り返しです。定着してしまったものを変えることはかなりの困難と労力を要するというのが実感です。
 つまり、環境一つとっても、学区の地域性や課題の可能性を模索しながら、毎年組み立て直しているのではないのです。学習素材の発掘を進めることなく、川に行くこと、インターネットで調べること、図書を読み、調べることが目的になってしまっています。問題点を探る仕掛けは何もないのではないかと疑ってしまいます。
 近くの川に出かけて、生き物を捕まえ、名前や特徴を調べ、まとめることは総合的な学習がめざすものではありません。地域の中で長年くらしてきた人々に、長年のうちに川の生き物に変化はなかったのか、変わったことは何もないのか聞き取らなければ、環境の変化や問題点はなかなか見いだすことが難しいのです。ホタルが少なくなったとか、この魚は滅多に見られなくなったとかを聞き出すことにより、川に行って魚を捕るだけで終わらない仕掛けができあがります。
 福祉体験活動だって同じです。毎年ある学年が、アイマスク体験や車椅子体験をしてみても、そこから問題点を掘り起こし、課題にまでつなげなければ総合的な学習の時間のねらうところには至りません。高齢化が進んでいる中で都市部であれ、過疎地であれ高齢の生活者が目の前にいれば、掘り起こすことは困難なことではありません。
 常に、総合的な学習の見直しが行われていない学校は、中身が形式的なっているというのが結論です。めざすもの、構想がありません。総合的な学習の時間を使い、子どもたちに何を育てようとするのか話し合われないのです。その結果、担任の先生の持ち味を生かした毎年の実践構想が語られないのです。105時間が70時間に変わることで、実践構想に大きな練り直しをしないといけないという考えは生まれてきそうにないのが現状です。少なくとも、軌道にのっている学校では、今年度中にこの問題を解決する結論に至るはずです。
 ぜひここで立ち止まって、すべての先生が解説書を熟読し、実践を振り返りながら足りない部分を読みとっていただきたいのです。実践構想をいくつかお持ちの先生は、読み進めても新たな発見は少ないと思います。逆に、読み取りが不十分な先生は、ずれに気づくまで繰り返して読み直していただきたいと思うのです。育てたい力=学習活動の中身という関係が語れない先生は、明らかに読み取りが不十分です。
 これこそが教科指導でも同様に求められる教材研究の力がついているかどうかと同じことなのです。教科も総合も甘く見てはいけません。見やすいとなめてかかってはいけません。指導しやすいという気持ちが先生の頭をよぎるとき、すでに甘く見ているのです。解説書が出たことによって、不勉強の先生は重荷が増えるでしょうが、それを克服することで子どもたちは学ぶことの喜びを身に付けられるのですから、責任重大です。解説書が出ることによって、逃げ道がなくなりました。