総合的な学習の失策〜研修体制〜
 総合的な学習の時間を導入して以来、国が果たすべき研修体制の整備はお粗末であったという失策が二つめの話題です。
 それぞれのねらいが末端にまで浸透しなかったことは間違いのないことです。積極的に進めようとする動きと消極的につじつまを合わせようとする動きが今なお続いています。教科の時間ではあり得ないことで、教科は内容を縛っていることで一定の成果を上げ続けています。しかし、成果を確実に継承しているとはいえない現状もあり、似たような研修課題が繰り返されることもあります。総合的な学習に限らず、現在の研修体制は効果的に行われていると評価できません。
 総合的な学習の時間は取り扱う内容が幅広く、教科書はなく、現場の先生に任されてきました。結果的に、創造力のある先生、指導力のある先生の力に頼って進みました。力のある先生方の手によって作られた実践事例集も配付されました。力のある先生方の手によって研修会も数多く実施されました。ところが、これまでに例のない時間と趣旨だけを示した総合的な学習をどのような手順で進め、どのような成果をえがくか、具体的なイメージを末端にまで周知する研修は不十分でした。
 学校現場でも、これまで経験したことのないような取り組みをしようと思うと、強力なリーダーシップがとれる人材が配置されていないと実現しません。先行研究を参考にすればできると考えるのは机上の方法です。なぜならば、主体的な学びを会得していない人に主体的な学びを先導することはできないのです。
 教科を例に出せば、算数で数学的な考え方について教材研究をしていない人が数学的な考え方を授業の中で鍛えることは不可能です。内容やねらいが解説書に書いてあるのだから、それを熟知して授業をすればできるはずだと思いこんでいるに過ぎないのです。
 それでは、研修体制をどのように仕組んでいけば失策とならなかったのか、考えていきたいと思います。まず、総則中に記述されている文言をいかに読み替えようとも、記述以上のものは理解されないでしょう。具体的な例を挙げて、先生がどのような考え方で総合的な学習に取り組めば、ねらいとする子どもが育っていくのか、現場の先生に理解できるようなモデルあるいは、事例が必要です。その中で、強調されるべきは、方法ではなく、考え方です。
 次に求められるのが、リーダーシップのとれる人材育成です。やり方が分からないから教科書を作れという意見が出ること自体が、第一段階を欠落させてはいけない裏付けになります。学習指導要領で明示されていても、積極的に進めたいと考える先生もいれば、どちらかといえば教科のほうが大事だからほどほどにしたいと考える先生もいます。中にはこんな時間なくしてしまえばいいと考える先生もいます。このように学校現場で主体性が揺らいでいればいるほど、先導役が必要となり、研修を積む必要があります。
 都道府県単位の学校数だけリーダーシップをとれる人材を長期休業中、集中的に研修講座に参加させるか、実務に連動させながら一年間の中に分散して実施するか、選択肢は多くありません。旅費と講師謝金のための予算を確保するのが教育行政の条件整備になります。
 最後に研修の中身です。教育課程研究協議会のような網羅的な実践研究を行って、優れた実践を発掘しようとする従来からのやり方だけでは、成果が広まっていきません。要になる実践者が学校単位で広めていく研修機会を設定するのが最も効果的です。一人の実践者が一人の研修参加者に伝えるだけではどうにもなりません。各学校を回って広めていくような規模の研修体制をとれば、組織的にレベルアップして動くようになります。