総合的な学習の失策〜教育の中身〜
 次期学習指導要領は、世間各界の批判をかわすために、より対策的な意味あいが強い改正となりました。総合的な学習の時間は、各教科からの寄せ集めで作ったため、3割ほどの時間を返上します。この十年間で学力低下が本当にあったのか、あるいは総合的な学習の成果は上がったのか、検証されないまま踏み切ってしまいました。
 私は、教育の枠組みを小幅に変えても、学力に与える影響は少ないと考えています。例えば、戦前は戦争にまっしぐらに進むように制度も中身も大きく変えました。為政者が意図して戦争を国のために容認するよう強制的に教え込むわけですから、教育の営みが与える影響は大きくなります。大多数の人々が、考え方、価値観を変えるように仕組まれたからこそ、突き進めたわけです。平和ぼけした今の状態では、学力低下と騒ぐだけで、危機感も強力な対策も出てきません。PISAの結果だけを取り沙汰し、世界の中で日本の順位が低下しているという状況です。
 世界に通用する文化、技術が何もないというのなら危機感を持ってもっと勉強させなくてはという話になりやすいでしょう。現実に誇れる文化や技術はあります。そうした誇れるところを教育の営みによって継承できなければ夢を持てといっても、持てないでしょう。総合的な学習の時間が担っていく役割は、決して些細なことではありません。
 失策の一つは、時間の問題ではなく、教育の中身の問題です。子どもでも大人でも、「日本が誇れることは何ですか?」と問いかけたときに具体的な答えが返ってくることが一番大切です。具体的な価値ある目標を掲げることなく、生きる力を育てるといってもつかみ所がなくなるだけです。肝心なところをさておき、否定的な問題ばかりを前面に出してきました。

・ PISAの順位が下がった。
・ 応用力、思考力が弱い。
・ 大学生でも基礎・基本が抜け落ちている。
・ 英語を学習しているのに英語がしゃべれない。
・ 愛国心がない。
・ 道徳が身に付いていない。
・ ゆとり教育が間違っている。

 多くの否定的な意見がとびかっていますが、そのことでどんな不利益があり、それがよくなればどんなよいことがもたらされるかなどは話題になっていません。つまり改革のためにけちをつけているだけのような気がしてきます。
 もし、これらの否定的な問題が解決されたら、次のようになります。

・ PISAの順位が上位。
・ 応用力、思考力が強い。
・ 基礎・基本は完璧。
・ 英語を堪能に話す。
・ 愛国心が強い。
・ 道徳が身についている。

 こういう子どもたちが育っていくことで夢の持てる将来が見えてくるでしょうか?残念ながら私には思い描くことができません。生きる力を影ながら支える力にはなっても、生きる力を一人一人が描いていく手がかりにはなりません。
 よさを見直していくことは教育現場の立て直しでよく使われてきた手法です。子育ての優れた手法にもなっています。否定的な意見を述べる人ほど、この手法のよさを熟知していただきたいのです。「こんなこともできないのか。」「これくらいのことが理解できないのか。」といわれ続けた子どもに、「がんばればできるようになる。」「がんばれば理解できる。」と叱咤激励することはだれでもいえることです。しかし、子どもたちに伸びてほしいと願っている先生は、あまり効果がないことを知っています。
 このように、できる、できないだけで制度をいじるより、生きる力と総合的な学習の果たす役割を明確に打ち出し、学校現場が中身を見直さなければいけないときだと思います。審議会も指摘しているとおりです。
 中身の幅が広く、自由に選択できることは、多様な学校現場のニーズに応えやすいというよさがあります。しかし、ニーズを考えないところでは、内容を右から左に並べるだけに終わってしまいます。一つだけは一律に共通の中身を設けることで、学校間が相互に総合的な学習の中身を比較したり、妥当性を検証しやすくなったりします。
 例えば、すべての学校が必ず環境教育に取り組むことにします。地球温暖化を回避しなければならない国際的な問題が加熱しているとき、国を挙げて環境問題を克服する軸が打ち出されれば、日本の国益にもなり、諸外国への貢献も数多くできるわけです。ドイツのプランに似ていますが、ドイツでは、全国レベルで展開するところまではいっていませんから、日本が一歩先をめざせばいいわけです。
 環境教育が選択肢の中にあるのではなく、国も企業も学校も巻き込んで全国展開するというものです。これは押し付けではなく、必修とする考え方です。環境問題の何を取り上げるかは、選択権が学校現場にあるようにします。英語に力を入れることと、環境に力を入れること、どちらが日本の独自の国益になるのか、検討していただきたいところです。私なら環境に軍配を上げます。