総合では対話能力
 これまでコミュニケーション能力という言葉で大まかにとらえていたことをもう少し実態と実践に即して検討してみたいと思います。子どもたちの言葉の力が落ちているという傾向は、読解力の低下や語彙の少なさとともに、人間関係の希薄さもからんで問題にされてきました。これは子どもだけの問題ではなく、日常生活の様々な場面で大人同士の間にも問題が潜んでいると感じています。
 私自身、筋道を立てて、かみくだいて話してきたつもりでも、年々相手に伝わりにくくなっていることを実感します。社会の変化に伴って、対話が減少していることは統計的な根拠を示さなくとも明かです。我が身を振り返りながら整理してみると次のようになります。
・手紙を書くことが少なくなった。
・手書き文字を書くことが少なくなった。
・電子メールを使うことが多くなった。
・テレビやインターネットなど映像情報と文字情報と音声情報が混在する情報が多くなった。
・じっくり対話することが少なくなった。
・議論することが少なくなった。 
・言葉を吟味することが少なくなった。
 指導要領の小学校国語の目標では、話し合うというもっとも日常的な能力の育成がきちんと掲げられています。話すことと聞くことを土台にして、話し合う能力を求めています。しかし、学校生活においても家庭生活においても、さらには、それ以外のところでも話し合うという能力は発揮されにくい状況にあるのではないかと思うのです。話し合う、言い換えると対話が成り立っているならば、人間関係が希薄になっているという問題は浮上しないはずです。一方的に話したり、聞いたりする関係が多くなって、話し合うところまで至っていない場合が多いのではないかという結論です。
 背景には、時間がかかるという煩わしさがあります。学校でも家庭でも対話をするためには心のゆとりが求められます。相互理解までたどり着けるような対話は一方的に話しているとできませんから、相手の反応を確かめながらやりとりすることになります。
 では、対話能力を育てていくために先生は何をすればよいでしょうか。教科の学習では、学習過程の中に「練り上げ」を設定した場面があります。先生と子ども、子ども同士が自分の考えを話し、相手の考えとすりあわせながら結果を導くための話し合いです。授業実践の中で、時間的に手間取るためになかなか充実した「練り上げ」ができにくい実情があります。普段の授業では、この部分に光を当てて積み上げることです。
 総合では、子どもの思いを引き出す質問とともに、自信を持たせる助言、ヒントを与える助言が適切にできるかどうかが、先生に求められます。説明と指示はできるだけ少ない方が対話になります。例えば、
「やり方が分からない。」
と答える子どもに、
「○○しなさい。」
といってしまったら指示になってしまいます。
「どうしたらいいと思いますか。」
と次の行動を促す質問を投げかけると対話になるのです。
 対話のための基本的な考え方は、学校現場では生徒指導の場面で培ってきました。相手を理解するという原則があり、そのために受容的な態度で接するという方法があるわけです。技術というより、人間関係を良好につくっていく生きざまになると思います。家庭においても保護者や家族がよい関係を作って、お互いに理解することができていたら、対話の成り立つ家庭になっているはずです。
 コミュニケーション能力といってしまえば、もろもろの付随した能力が錯綜し焦点化することが困難になってきます。わたしたちが社会生活を営むうえで、ぜひ身につけておくものとして対話能力に絞り込めば、あらゆる場面で培うことができます。そして、成果が上がると、お互いに理解し合うことができ、人間関係も好ましいものに変化していきます。
 携帯電話を持つ子どもたちが、メールでやりとりしていることは対話ではありません。電話で話をするのも対話ではありません。対面して話し合うのが対話です。つまり、言葉に表れない感情や意志は対面していないと伝わらないのです。学期末の評価をしているとき、なかなか具体的な場面が思い浮かばない子どもが必ず一人、二人といました。やはり対話が少なかったとつくづく思います