学習素材「割り箸」
 割り箸、マイ箸を学習素材として取り上げるときは、本当のところをしっかり把握してほしいと思います。一部の情報や実践例を鵜呑みにすると間違った考え方を広めてしまうおそれがあります。これまでにもこのコラムで断片的に紹介しましたが、「廃物有効利用の割り箸」という見出しで明確に説明されている本を示しておきます。

中本利夫著「木植えて・育てて・伐るーそして植える」講談社

 円筒形の木材を建築材料にするためには直方体に製材されます。切り取られた端材は、さらに野地板としてぎりぎりまで製材されます。最後に残った端材は薪になっていました。ところが、燃料としての薪は、化石燃料や電気に変わってしまい、使い道がなくなりました。そうした変化がある中で、割り箸は長年、木材の有効利用の役目を果たしてきました。
 割り箸にはもったいないの考えが根底にあります。一方で、使い終わったら捨てるわけですから、使い捨ての文化を助長したと批判する人もいます。本来の使い捨ては、衣類、車、電化製品などまだ使えるものを惜しげもなく捨ててしまうところからきています。使い終わったから捨てるのと、まだ使えるものを捨てる違いがあります。
 木が育つという過程の中には単に木が大きくなるという意味だけではなく、空気中の二酸化炭素を取り込んで、炭素として固定するはたらきがあります。木を燃やすことによって炭素は熱とともに二酸化炭素を放出します。この繰り返しが循環型社会の循環なのです。つまり、伐採した木を建材として使うと固定された炭素は維持されます。端材を不用なものとして燃やせば、固定された炭素は二酸化炭素として放出されます。割り箸になるものは、その放出を抑制しているわけです。これが割り箸の大切な役割です。
 そもそもの間違いは、切り倒した木材が割り箸の原料として丸のまま使われていると思いこんだことによります。割り箸を使えば使うほど木をたくさん切るから森林破壊になるという考え方です。建材と紙に大量の木材が使われていることは事実ですが、割り箸に大量の丸太が使われているという事実はありません。割り箸は、廃棄される木材を有効な商品に変えています。それよりも山の木をすべて切り倒して、後は何もしないことが森林破壊につながるのであって、すべて伐ることがよくないとは言い切れないのです。
 もう一つの割り箸を封じ込めようとした取り組みとして、自分の箸を持ち歩くことがあちこちで広がりました。一見いいことのように思うでしょうが、環境保護に取り組んでいるいいわけに使っているだけです。森林保護になるという根拠はありません。なぜ、割り箸が作られるようになったかを知っていたらこんな間違いにはまることはなかったでしょう。そもそも、割り箸を大量に使うことが資源の有効利用で、森林保護にもなる取り組みだったわけです。
 割り箸にまつわる別の取り組みとして、割り箸を回収して紙の原料にする流れができています。具体的には新王子製紙春日井工場が木製の割り箸を受け入れています。焼却処分で二酸化炭素を排出しないように資源有効利用をうたっています。混じりけのない木材パルプとして使えますから有効な方法です。市場には竹の箸も出回っていますから、選別はきちんとしないといけません。焼却処分される割り箸が回収され、さらなる廃物有効利用になれば、無駄はとことん減らすことができます。ところが、建築現場ででる端材や製材ででる端材は接着剤や塗料、樹皮など、取り除かないといけないものが混入します。結局、有効利用されることなく焼却処分されています。
 炭素の循環をきちんと理解していけば、もともと植物が取り込んだ炭素を化石燃料として固定していたわけです。それを採掘して大量に使えば、植物が成長する過程の中で取り込む炭素をはるかに上回ることは容易に分かることです。制限を超えないように使用量を抑制するのが一番に求められる方法ですが、経済活動に直接響くだけに難航しています。逃げ道としての代替燃料も危ういところがあります。二酸化炭素を集めて地中に捨てる方策に至っては、核のゴミと同じようなことになりそうです。

 世の中には、間違った情報が訂正されることなく一人歩きをして、まことしやかに賛同者を増やしていくことがあります。よくよく調べていくと、うわさ程度の情報であることが判明します。そこで求められる考え方が、循環型社会の意味を地球規模で判断するということです。環境に対する保護、貢献は部分的な循環だけで判断すると間違いを押し通すことになりかねません。