学習素材「循環型社会と金属」
 鉱石から金属を作り続けることは、化石燃料と同じ運命にあります。地球上の鉱石は有限であり、やがては枯渇します。埋もれているものを発掘しても有限であり、他の天体に依存しない限り、絶対量を増やす方法は今のところ見付かっていません。
 化石燃料と違うところは、使っても別のものに変化する量が少ないことです。すり減る、錆びることによって再度使える量は減ります。繰り返し使えますが、最終的には酸化して別物になり、使える金属はなくなります。金属は循環型社会に限りなく近いところにいるように見えますが、問題となるのは溶かすための燃料です。長い目で見ると、よりやすい値段で金属を手に入れるためには、廃棄物と鉱床の争奪戦に化石燃料の争奪戦も加わることになるでしょう。
 廃棄物を集めて分別すれば再利用が可能ですから、ゴミが鉱石よりすぐれた資源になると考えている学者もいます。金属は鉱脈を探査して鉱石を掘り出し、選別、精錬をしていく過程で大量の燃料を使い、割高になっていきます。それよりも使用済みの金属を回収して再利用する方が安価にできるという考えです。
 例えば、アルミニウムは鉱石から地金をつくるより、回収したアルミニウムから地金をつくる方がはるかに安くつきます。現実に経済効率と環境対策に貢献していることを前面に出して稼働していることはご存じでしょう。ただし、電気炉ですから環境対策が見えにくいだけです。間接的には二酸化炭素排出に加担しています。
 また、電化製品、情報機器の廃棄物から希少金属、業界でレアメタルとよばれているものを地金として再生することも進んできています。こうした回収再生には、大量の電気または燃料を使います。中国が資源確保のために世界中の廃棄物を集めているのは、環境対策ではなく、低コストの地金を必要としているだけです。報道で見る限り、安全性の低い荒手の回収です。

 かつて文明発祥の過程で鉄が登場したときは隕石が原料だったということが分かっています。人が手を加えなくとも、落ちて手に入れるまでに製鉄されています。いつ落ちるか、いつ拾えるか、当てのない原料だけに当時の希少価値は高かったはずです。
 その後、鉄鉱石から製鉄されだしたとき、使われた燃料が何だったのかはなぞです。可能性のある燃料は木炭と石炭だけでしょう。近世の日本では砂鉄から木炭を燃料にしたたたたら製鉄です。
 大量の金属の利用は工業を発達させましたが、長い歴史の中ではほんのわずかの期間です。金属の恩恵が地球温暖化を招いたと考えても説明がつくと思います。つまり、燃料にかかわる循環型社会の問題点を解決していくことと金属にかかわる循環型社会の問題点とは同じ土俵の上にいることになります。資源回収そして再生を地球規模でとらえなさいということです。
 身近な金属でありながら、重視されるのは工業生産の世界であって、生活の中においてはひたすら恩恵を受けるだけに終わっています。問題点を掘り下げて、全体像をつかむには小学生の段階では困難が伴うでしょう。接点を考えるならば、どうしても金属でないといけないのかという投げかけがあります。金属が大量に使われなかった時代は化石燃料にも依存していません。そのころ、くらしの中のものはなにでできていたかということです。
 資源の流入を絶たれた敗戦前の日本は、金属と燃料の確保で必死であったことは事実です。戦闘機に木を使っても、エンジンや鉄砲玉の代用品はありません。手榴弾を備前焼でつくったというのは史実として残っています。争いの材料になる歴史は長いですから、循環型社会とは別方向の素材になってしまいます。もちろん、循環型社会の最大の敵は争奪戦です。