総合の課題(時間数不足)
 文部科学省のWEBページで次のような会議資料が出されましたので、【課題】部分の意見について検討を試みてみました。
教育課程部会 生活・総合的な学習の時間専門部会(第8回) 平成17年9月21日
配付資料「生活・総合的な学習の時間専門部会におけるこれまでの主な意見」

○  土曜日がなくなったため,月から金曜日にずっと6時間の授業を行っていると教材研究の時間が取れない。月2回土曜日を復活させるともう少しゆとりをもって準備ができるのではないか。特に学年で取り組む場合は,実践内容の充実のためには,教員の打ち合わせの時間は重要なポイントとなる。

○  時間の問題について,時間が足りないからできないという問題ではなく,土曜日を復活して解決する問題ではないと考える。学校によって必要があるなら,土曜日も学校に行けるようにするという柔軟な対応ならわかるが,一律に復活させても解決にはならない。学校5日制とは,地域やNPOからみれば,地域2日制となるわけで,土曜日を復活させることの功罪をよく考える必要がある。


 相反する意見です。土曜日に授業を復活させたら、時間の問題は解決すると考えるのは数字あわせにすぎないと私も思っています。例えば、製造業において増産の必要がでたとき、労働時間を延ばす方法と設備や人をふやす方法が考えられます。コストは時間延長の方が安く上がります。コストだけを判断材料にすると、さらなる増産には対応できなくなります。長期的な展望がないと解決策ではなく、一時しのぎになってしまいます。教育の現場においても、時間の増減だけを問題にするのではなく、中身を問題にする方が賢明だと思います。
 土曜日を復活させ、研修日として使えば打ち合わせの時間は確保できます。時間だけであって、中身が保障されるとは限らないのです。学校5日制と40時間労働は全く異なる趣旨を持たされているのに、表裏一体になっていることは理解されていると思います。
 1日に4コマを毎日こなして休日なし、5日間6コマをこなして2日休日、5コマの日を増やして1日半休日、4日間7コマ少々をこなして3日休日。というようなパターンが考えられます。一方、40時間労働で、6時間6.5日制、8時間5日制、10時間4日制と選択肢は柔軟に考えられても、行き着くところは能率の問題になります。
 別の角度から考えると、授業時間が多ければ学力の高い優秀な人格を持った人間が確実に育つという保障があれば、疑うことなく大多数の人が賛同するでしょう。労働時間の長い企業が優れた人材を輩出し、高収益をもたらすなら、こぞってそうするでしょう。しかし、毎日の睡眠と同じく、休養や休息は能率を保障する時間になるという認識は揺るぎないものです。

 勤勉な国民性を裏付けるように労働時間も学習時間も長かった日本が、欧米並みに引き下げようとした結果、不安を感じているのが現状でしょう。「休む」ことに後ろめたさを感じることがあるなら、やはり意識は変わっていないかもしれません。私的な事情によって学校を「休む」、仕事を「休む」ことが当たり前の考えであれば、「学力が落ちるのではないか」「仕事から取り残されるのではないか」と不安になることもないと思います。
 教育活動の中身が問われるとき、子どもたちから発せられる言葉が気になります。「学校で教えられなかった」と非難するようなことがあってはならないのに相変わらずです。こういう言葉を発する必要のない人間を育てるために総合的な学習の時間は大きく貢献すると考えていますがどうでしょう。教えられていないところを学んでいく子どもたちは、自分が自由になる時間を利用して新たな学びを自らがしていくはずです。学校が教育のすべてを引き受けるのなら、百科事典が教科書になってしまいます。
 参考までに文部科学省の資料「データからみる日本の教育(2004)」をご覧ください。時間数の多い国が学力調査で高い結果を出しているとはいえない現実です。数字ではなく、中身を検討したほうがよいことを示唆しています。


 校内での研修時間は細切れでしか設定できないという頭の切り替えが必要になってきます。週1回、45分の校内研修を意図的、計画的に実施していくことは可能なはずです。ただし、中身をきちんと組み立てられる人材を確保することが先決でしょう。