総合の課題(多忙感、先生の資質)
 文部科学省のWEBページで次のような会議資料が出されましたので、【課題】部分の意見について検討を試みてみました。
教育課程部会 生活・総合的な学習の時間専門部会(第8回) 平成17年9月21日
配付資料「生活・総合的な学習の時間専門部会におけるこれまでの主な意見」

○  学校の教員からは忙しいという声をよく聞くが,総合的な学習についても,実際にやってみて,その結果から,どのような力がついたのか検証し,不十分な点を改善していくという方向が必要ではないか。

○  教員の打ち合わせ時間の確保が実施上の課題といわれるが,学習指導要領の改訂,完全学校週5日制,授業時数の確保,学校行事や会議の精選など,学校の運営体制,学校のビジョンから考えていかなければならない「総合的な学習」のみに視点を当てるのではなく,教育課程全体を考えて,そのなかで取組を進める必要がある。


 時間が取りにくい中で、検討会議を開き、取り組みの方向を明らかにする以前の問題があります。先生の多忙感が増えてきた背景には複雑な要因が絡み合って、つかみにくくなっています。世の中の好ましくない状況や歪みがすべて教育にかかわると思いこんでしまったり、思いこまされたことによるのではないかと私は考えています。
 先生の一日の仕事は大半が授業に費やされます。小学校で6校時の授業をしたら、4時間30分、中学校なら5時間になります。1時間1時間の授業をきちんとこなすことが先生の中心的な仕事になります。ところが、授業の準備をしたり、整理をしたり、教材研究をしたりする時間も必要です。学校が組織として動くための役割分担の仕事もありますし、宿題を出せば点検の仕事もあります。さらには、行事の打合せや準備、役割分担上の出張が不定期的に入ってきます。このほかに、授業をきちんとこなすためには、良好な人間関係を作りながら学級集団を育てる役目もあります。これらは長年続いてきた先生の仕事です。
 先生は教室で授業だけに専念すればよいという状況になっていません。人間関係を作るのも子ども相手だけでなく、学校内外の先生同士、保護者、地域住民、行政関係者、取引業者など多岐にわたっています。それだけに、人間関係でトラブルが発生すると最も大切な授業に支障をきたしていきます。学校に来られなくなった子どもががいる、落ち着いて授業が受けられない子どもがいる、先生や保護者と意見が食い違って和解の糸口が見つからないなどの事態が生じたとき、協力体制を組んだり、修復したりできれば支障は軽減されます。もし、それができないままの時はストレスがたまり、学級や職場の集団としての機能も低下していきます。
 進学を目的とした私立学校や塾が授業だけで勝負できるのは、子どもたちの目的がはっきりしており、人間関係のトラブルが起こりにくい状況があるからです。もし万一起こったとしても、やめるという手段で解消していけるわけです。
 先生が授業に専念できる学校に変えていこうと思うと学校を取り巻く専門指導員(インストラクター)を配置していくことが不可欠な状況にあります。病める部分をすべて学校が背負い込んでいては、修復どころか、学校が学校としての機能を果たしにくくなっていくからです。
 不登校の子どもが出現したら、カウンセラー、セラピー、臨床心理士などが対応し、復帰できるまで別の組織で過ごす。非行、暴力行為は警察、青少年相談員、保護司などが対応し、復帰できるまで保護観察する。基本的生活習慣が育っていない子どもには、保健士、管理栄養士、小児科医などが対応し、軌道に乗るまで相談業務を続ける。しつけができていない子どもには専門員を家庭に派遣する。このようにして、隔離してしまうのではなく、専門家を通して親子共々改善されるのが望ましいと思うのです。
 軽度発達障害が注目され、特別支援教育へと移行されていますが、長期的に広い視野に立って見ると、自立支援プログラムを必要とする子どもたちは多種多様です。障害以外にもあるということです。家庭で育てなくてはならない生きる力が極端に低下してきているつけを学校に回していては解決になりません。先生も含めての話ですが、負の力は少数でも集団の中では大きな勢力になります。対応するためには人の支援、インストラクターの増員あるのみです。
 ただし、いじめだけは学校から切り離してはいけません。これは、先生と子ども、子ども同士の人間関係の歪みですから、学校には積極的に解消する責務があります。外部の監視に頼らなくても、学校自身が気づかなくてはいけません。

 もう一つの側面は、先生の資質が本当に低下したのかどうかです。子どもも大人も人間関係を作っていくことが上手でない人が増えてきました。他人と積極的にかかわることを減らした人は、苦情処理能力も低下しています。人間関係を作ることが大きな目的になっている学校現場で、苦情処理能力が発揮できないと学校としての機能も低下します。このような意味で先生の資質が低下しているという判断は当然出てくると思います。
 しかし、よくよく考えてみれば資質の低下ではなく、人を尊敬することよりも、こき下ろすことに熱心になってしまったからではないかと思います。優秀な先生が萎縮してしまっています。教育現場だけでなく、警察にしても、会社にしても、議員にしても、一人の不届きものによって全体が縮こまる風潮は大きな負の力です。それだけに不祥事が個人の問題なのか、組織の問題なのか見誤らない判断が求められます。学校が組織的に機能するためには、先生自身が自信を持てるようにすればいいだけです。そうすることで、苦情処理能力が維持できるようになります。さもなければ、ゆとりのない先生が増えてしまいます。
 以上のように、学校が慢性的な多忙感から脱出する方策を整えた上で、運営体制を作り、ビジョンを築き、立て直すことが近道ではないかと思います。もちろん、学校が学校として組織的に機能している学校は前例にとらわれることなく、全体像を作り直せばいいのです。解決の糸口は、学校の置かれている状況によって違います。