総合的な学習と「ものづくり」
 教科の学習や総合的な学習の推進にからんで、体験的な学習がしやすいように「ものづくり」の分野に条件整備をしていく動きがあります。「ものづくり基盤技術振興基本法」とよばれるものです。教育分野だけでなく、通産省、労働省も参画して事業計画を練っているものです。家内工業的な規模から伝統工芸的な職人の世界まで、ものづくりを大切にすることは結構なことです。身近な学習素材として興味を引くものが多いことも事実です。しかし、いいことだからといって、簡単にレールの上を子どもたちに歩かせることができるかどうかは慎重に考えたほうがいいと思います。
 何よりも気に入らないのは、教育実践をしている現場のニーズにきめ細かく対応して条件整備をするのではなく、一石二鳥をねらった目的で仕掛けをばらまくことにあります。租税教育、緑化推進、など行政と結託した外郭団体が学校教育の利便性をねらい目に次代を担う子どもたちに啓発すれば効果が大きいとにらんで事業をしています。学校の都合ではなく団体の安易な都合が優先しているものは、きっちり整理しなければなりません。学校外からの有形、無形の頼まれごとに対して、学校の主体性、計画性は何よりも尊重しないと一過性の教育になってしまいます。
 典型的な依頼の構図は種々の作品募集によくあらわれていると思います。学校に頼めば何とかなるという類のものです。一般公募しても作品が集まる見込みは少ないし、ましてや子供たちは目にとめないだろうから、学校に送りつけるのが一番確実なわけです。しかし、出品するとき、決定権は子ども自身の興味関心に委ねられていることが原則です。先生が出かかった芽を上手に伸ばす意図的な出品は教育的な価値があるからこそ意味があります。義理で応募したり、やらせで応募したりするのは、思い切ってやめた方が先生のためにも子どものためにもいいでしょう。
 基本的に学校の主体性、子どもの主体性を育てる方針を押し通すならば、あらゆる場面でそのことを実現しなければ、ご都合主義に終わってしまうでしょう。学習を進めていく過程の中で必要が出たときに依頼できる場が設定されるならば、筋道も立てられるし、学習効果も期待できます。先生の一方的な価値観や依頼される側の一方的な価値観で一斉に子どもたちをくぐらせることは検討の余地があります。選択肢がない学習の場の押しつけは、仕方なくする子どもを作ってしまうことにもなります。
 例えば、ケナフを栽培して紙づくりを一斉にするだけでは、先生や専門家に煽動されてすべきことをこなしたという結果に終わることも十分考えられます。要は体験や活動の中に新たな学びがあればいいのです。ケナフは本当に環境保全に役立つ植物なのか、環境、資源保護に役立つ紙の原料は外にもあるのか、といった追求すべき問題を掘り起こせる可能性を探らなければなりません。
 
「ものづくり」で行政が支援する、特別非常勤講師で行政が支援するなど、どこまでも行政主導型の施しになっている事業なのです。使えるものは上手に取り込んで生かせばよいのですが、先手を打ってもっともっと学校現場の必要性に対応できる柔軟な施策を要求していかないと学習を創造することができないと危惧します。