5年目の総合
 総合的な学習の時間を創設した学習指導要領が平成14年4月に施行されて以来、5年目になります。前倒しの移行期間も含めると8年あまりです。この間に、総合的な学習の時間が全国津々浦々まで根付くところまでいかず、すっかりなりをひそめてしまったような気がしているのは私だけのことでしょうか。
 以前から繰り返し申し上げているとおり、総合的な学習の時間だけが趣旨にそって機能している学校というのは存在しません。普段の授業の改善、基礎的・基本的な学力の定着をはじめとして、制度面での新たな取り組みが定着するためには、共通の克服しなければならない問題があります。言葉としては似ているのですが、指導力の向上、資質の向上では片づかない問題です。根本的に変わらないといけないのは、指導法です。
 総合的な学習の時間がうやむやに費やされているならば、教科の時間もシステムが変更になったことに気づかないまま、うやむやになっているのではないかと危惧します。時代の変化にともなって・・・と指摘されながら、その変化をつかむことも、理解することもなく日常がすぎている現実を見ることが多々あります。
 子ども時代も教職時代も教授されることに慣れ親しんできた先生は、指導法の変化を真剣に受け止めて欲しいと考えています。簡単な言葉で言えば、「教える」「学ばせる」「練習させる」の三つです。「そんなことは学校で教えられなかった。」と言い訳する方は、「教える」「練習させる」の裏返しとして「教えられる」「練習する」の二つをこなしてきたわけです。「学ぶ」ことについては乏しい経験しかないことになります。「教える」と「練習させる」という指導法は変わっていないのに、「学ばせる」に焦点を当てたことで、基本的な指導法がおろそかになったという皮肉な結果がつきまとっています。二年前から、教科書の中身は「教える」の必要最低限になってしまいました。「さらに教える」と「練習させる」は先生の裁量に委ねられてしまいました。この変化は仕組みを理解すれば、自ずと対応できます。
 しかし、「学ばせる」は理解すれば、できるというわけにいきません。学ぶことを経験し、身に付けることで「学ばせる」ことが可能になります。極論すれば、学ばない人が学ばせることを仕組むことはできません。
 これまで、教科の時間における「学び」の実践研究は数多くありました。しかし、その成果が広く伝わっていくことはまれでした。つまり、「学ぶ」先生が多くないということです。打開策のない中で、総合的な学習の時間は「学ばせる」場面が多く期待できる目玉となったわけです。これがうまくいくと、ゆくゆくは三つの指導法がバランスよく展開していきます。
 現場でときおり首をかしげるような理屈を耳にすることがあります。「子どもにどんな力をつけたいのか、はっきりさせないといけないです。それがはっきりすると評価もやりやすくなります。だから評価について勉強すべきです。」そんなことよりも「学ばせる」ことはできていますかと問いかけたいところです。意識改革の根底にあることを見逃すことなく、三つの指導法を身に付けることを提言します。