学習素材「鉄器」
 石器文化から鉄器文化に移ると歴史の流れが大きく変わります。日常生活の中では鉄のありがたさを感じることは、ほとんどないといっていいでしょう。実際には多くの恩恵を受けて生活していることに、思いが至らないだけのことです。石包丁の変わりに鉄で作った包丁が登場すると「切る」ことに関しては飛躍的なありがたみが当時の人々にはあったと想像できます。切れ味が長く続くことで、能率は上がったわけです。もちろん人を切る道具にもなりますから、新たな武器の登場で争いごとも大きな変化を遂げたことは歴史が物語っています。刀がなくても包丁が犯罪に使われる現実は、包丁を取り締まるだけでは解決しないことになります。
 家庭科室の包丁をしまっているところには鍵がかかっているという学校も多いでしょう。さらには、カッターナイフ、小刀など刃物の管理にすっかり神経質になってしまった現実があります。鍵をかけて安全管理はぬかりないと思うより、積極的に刃物の価値を見いだす体験をしていくことのほうが効果は大きいと思います。現に生活の中で包丁を必要としない人がいるのですから、切る、削る、剥くといった体験を積み重ねることは、大切にすべきです。例えば、鉛筆削りを取り払って、小刀でのみ鉛筆を削ることができる取り組みをしていた先生もいます。リンゴの皮むきを取り入れた先生もいます。
 話を元に戻して、砂鉄から鉄を作るたたらの再現は限られた地域でしかしていません。私の住んでいるところから近いところでは島根県だけです。しかし、中国山地のあちこちでたたらの跡形は語り継がれているところが数多くあります。「かなくそ」というたたらに関する地名が残っているところもあります。
 ということで、鉄を作り出すことは困難ですから、やむを得ず近代的な方法で作られた鉄製品を利用して道具を作る学習素材に行き着いてしまいました。私が子どものころは、小刀を持ち歩くのは日常的なことでした。「肥後守」という折りたたみ小刀は、はさみやのりと同じ文房具の一つでした。買ったものではなく自分で作ったら、切れ味のいいものができるのではないかという願望もありました。
 そこでひらめいたのが、のこの目立て用ヤスリです。そのヤスリも新品のものではなく、のこの目立てをしている金物店で使い古した小さめのヤスリをもらって作りました。まさに廃物利用です。長さ10cmほどの小さなものに挑戦しました。ひたすら砥石で研ぐだけです。ヤスリに使われている鉄はもろく固いのが特徴ですから、小刀にするまでは相当の時間と労力を要したことだけ記憶にあります。しなやかさのない鉄ですから、刃こぼれしやすく、思ったほどの切れ味は得られませんでした。
 身近な原材料としては、大きめのくぎが扱いやすいと思います。軟鉄ですから、根気よく叩けば板状にすることができます。10cmほどの釘の半分だけを加工し、最後に研いで刃をつけることになります。切れ味が少しでも長続きするようにしようと思うと、焼き入れという方法があります。赤く熱した軟鉄を水で急冷すると硬くもろい状態になります。粘りは失われますが、刃物としての切れ味は長く続きます。焼き入れ刃は図工で使う彫刻刀に見られます。
 釘を使った小刀づくりが学習素材として優れているのは、道具以外のことを学び取っていくことができるからです。自ら作った刃物を駆使して、けがをしながらでも使いこなしていくには、長い時間を要します。つきっきりで指導するわけにはいきませんし、すべての活動を授業時間で確保していくには無理があります。傷をつけると痛いこと、力がいること、根気強さもいること、周囲の人に対する安全の配慮がいること、刃物のありがたみが実感できることなどを生活の中で体験的に学んでいくことができるでしょう。