学習素材「山菜」
 山菜といえば、ワラビ、ウド、フキ、フキノトウ、ミツバ、ツクシ、セリ、ヨメナ、ゼンマイ、タラの芽、コゴミ、ササタケノコ、イタドリ、クサギ、クレソンなどが代表的なものです。食べられる草木となると、このほかにもたくさんあります。
 山菜は採取できる期間が短いため授業の中に取り入れにくいという心配はあります。しかし、地域に密着した食材ですから、地域に住む人々の知恵を借りることは確実にくぐるようになると思います。時期を見計らって里山探検から食料探し、調理加工へと流れていきます。
 何種類かは、季節の食材として栽培されているものもあります。例えばタラの芽はとげのない品種が栽培されていますし、ミツバやセリに至っては長期間にわたって出荷されています。最近では、栽培されたフキノトウまで店頭に並ぶようになりました。本来は、里山に入って、自然状態に生えているものを採集することに意味があります。というのは、農耕文化以前はすべて山菜だったからです。
 先人は、食料として食べられるものと食べられないものを経験的に分けてきました。毒があるかどうかは、人体実験するしか方法はなく、犠牲になることで食べてはいけないものを言い伝えるようになったと想像できます。灰汁(あく)が強くてまずいものでも、調理、加工の仕方によっては美味しくなることを偶然見つけることができたとも考えられます。そうした先人の知恵が受け継がれて現在に至っています。
 食料探しをするときには、以上のような経緯をふまえて、先人の知恵や知識を豊富に持っている方から伝授していただくようにしないと太古の人体実験を再現してしまいます。よく似ているものを判別することができないために事故となるようなことは避けなければなりません。つまり、生半可な素人判断は危険だということです。山菜の中でもキノコ類は判別が難しく、中毒事件が繰り返されています。美味しさに誘惑されての過ちです。天然ナメコを口にすれば、栽培されたものはずいぶん大味であることが分かります。
 山菜の多くは取ってきたものをそのまま食べることができません。下ごしらえをしたり、後処理をしたりしてから調理という段取りになります。調理法、味付けについても経験的に絞り込まれてきた経緯があります。例えば、手軽な方法として天ぷらにするのは、灰汁抜きの処理を省くことができるからです。それぞれの山菜に応じた調理法には地域性もあり、長年受け継がれてきた知恵を学ぶことが理にかなっています。
 学習素材として取り入れたい一番の理由は、身近なところに天然の食材を求めることで、食の原点を追求することができるからです。農業が行われるようになったいきさつや食の安全性にまで広げられる可能性もあります。しかし、思いつきでやってしまうと山菜採りと山菜を味わう会で終わってしまいます。地域の情報をしっかり集め、地域に暮らしている方々の人脈をつかんでおく手間は覚悟しておいてほしいと思います。
 また、学校の中だけで完結することなく、時期を見ながら、休日や夏休みを利用して挑戦することもできます。子どもだけでは危険が大きいですから、山菜に詳しい人脈をたどって、子どもたちが働きかけ、案内役をお願いしてみるのも一つの方法です。里山に入る危険は、道に迷って帰れなくなる、マムシやスズメバチなどの有毒動物、ウルシやハゼなどのかぶれる植物などが思い浮かびます。
 山菜と作物を対比させると、人間の都合で作りだしてきた作物の市場価値は実にゆがんでいることが見えてくるはずです。規格や等級でランク付けされ、ありのままの価値を認められることなく、闇に葬られていく現実があります。